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2015/07/13

「花燃ゆ」第28話感想「はかないテーマ」

12日のNHK「日曜討論 賛成・反対 激突・安保法案」はある意味、見ものでした。
国民にとっては、この法案が違憲であるかどうかが焦点なんですよね。ところが、法案賛成派の“憲法学者”百地章さんが、のっけから「国際法で集団的自衛権は認められている。国際法は憲法に優先される」みたいなことを言っちゃうわけです。つまり「違憲」だと自分から言及するオウンゴールを蹴り込んでしまったんですね。
しかし、審判であるところのNHK島田敏男解説委員が失点を認めず、主題をそらしてPKOやら実際の運用やらに話を進めました。トークバラエティ番組と化した「日曜討論」は、テーマぼけぼけのまま、無事に放送予定時間を過ごしたのでした。
テーマ不明の番組の愚が「日曜討論」にありました。大河ドラマはどうだったでしょうか。
「これまでの私はおりませぬ。無力な女はもうおりませぬ」と、ここまでの無能を認めて、ロスタイム新章に突入するらしい「花燃ゆ」。松下村塾を「ここは人殺しの算段をするところなんですか?」と言い切ったエピを放り出したままですから、かの世界文化遺産は、本当に人殺し機関で終わったようです。奥の人間関係にテーマを大転換して、一から出直しです。
今回は宮村優子さんの脚本になります。トロイカ体制脚本家3人ともが秋に粛正されるとか。松谷みよ子著「現代民話考(8)ラジオ・テレビ局の笑いと怪談」による、テレビとは人を育てる場所にあらず、使い捨てる工場であるとの観点からすれば当然です。椋梨藤太風に言うなら、おのが実力不足を呪うべし。テコ入れは、あの「天地人」の脚本家さんですと。一応もう一度体験してみないと評価はできません。これでダメなら、「江〜姫たちの戦国〜」の田渕久美子さんの再登板すらありえるかも。プレイヤーがゲームをやめたくても、次々とラスボスが現れる不毛なRPGになる可能性があります。
「花燃ゆ」第28回「泣かない女」は案の定、壊れた奥で話が展開します。「文は素性を隠して奥御殿へ入ったのであった」。このナレ、何なの? 考えられんでしょ。身元不明の女がじゃんじゃん奥女中になれるのだったら、江戸期の奥は貧乏人やスパイの天国です。脚本は歯止めをかけるべし。ヒロインがそこへ行き、活躍すべき主題が、壊れてしまっています。
やたらふくよかになった、かつてのアイドル高橋由美子さん(今の方が自然で好き)と、姫路のエース江口のりこさんが素敵ですが、だからといって奥の存在が大河に必要かという説得力までは持ちえません。松坂慶子さんをクローズアップし過ぎるのはどうかな。井上真央さんとの役者の格差が明確に過ぎて、主役が浅く見えます。
銀姫役の田中麗奈さんは、いいキャスティングだと思います。全身から染み出す鼻持ちならない高慢で最低な性格の姫君がぴったり。周囲が我慢ならないクズ女を素で演じさせたら、およそ彼女の右に出る人はいません。ミスキャストだらけの本作において、現在最高の選抜でしょう。
奥にあって、政情を詳細に語る松坂慶子さん。こりゃないわ。江戸時代での男の世界の話でしょ。こんなクズエピはほったらかして、英国公使オールコックでも出しましょう。「跳ねっ返りの長州を徹底的に叩く。さすれば幕府や攘夷をのたまう諸藩や浪人も、彼我の戦力差を痛感して諸外国に従うであろう。わっはっはっはっはっは!」(萩原延壽著「旅立ち 遠い崖2 アーネスト・サトウ日記抄」(朝日文庫)より意訳)とやった方が、長州の苦境がわかろうというものです。
ヒロインに、礼服を下関の高杉まで届けろとの無理無題。届けるのが「男では危ない」と言い切りますが、戦闘地域ではかえってフィメールメッセンジャーの方が危険でしょうけどね。武芸の心得のある「鞠」が同道しますが、終始丸腰の女性ボディガードが付いていても無駄だと思いますよ。たかが着物一着届けるのに、作品のテーマを、やおら女性が頑張る幕末にしたところで、無理があり過ぎます。「高杉様」と「高杉さん」が1話の中で混在するのもどうかと思います。
奥での出世を願う理由だって、夫が死んだわけを知りたいからなんてヌルい話でしょ。兄吉田松陰から夫久坂玄瑞まで、その思想を知らぬままダラダラ回を重ねてきた愚鈍なヒロインが、着物ごときを配送することでステップアップするストーリーに、だれが共感するのでしょうか。
杉家シーンはスルーしたいところですが、今さらなぜ登場人物に名前のテロップを出す? そこまでキャラづくりに自信がないのか。演出の志グラグラです。「自分の目や耳で、自分の生きとる場所を確かめとうなったんやないか」とのたまう母。トシいってからの自分探しの旅ってカッコ悪いんですよ。大河ドラマを、元サッカー日本代表の紀行エッセイみたいに汚さないで下さい。
辰路の出番は終わったと思っていたら、まだいたんですね。京都弁の崩壊は続きます。数回前に長州藩をアゲまくる京都庶民が「そや、そや」って言ってましたが、「そや」を使うのは大阪・兵庫方面です。京都市内だったら「せや、せや」。ほんま世話ないわ。桂小五郎の凋落も説明なき唐突さ加減にドン引きです。
このところの小田村伊之助の出番は、完全にやっつけですね。本当に意味が無い。吉田松陰の死後、本作のテーマらしきものを担うのは小田村だと思っていたのですが、最近では「おもむろに出てきてはなにか言うキャラ」に収れんされています。いっそ、数話で外していなくなった方が話がスッキリすると思われるほど、作品のテーマを混乱させる要素となっています。
主人公の源氏名「みわ」を、唐突に提出するのも変です。なぜ「みわ」なのか。三本の矢の逸話なのですか? 松陰、久坂、伊之助の3人が見守る構図から「みわ」だと言われたところで、小田村と久坂の交流が、政道と恋愛をごっちゃにしたクズエピしかないことを思えば、無理矢理に過ぎます。
主人公は女武者っぷり(道中何もなし)を評価され、出世します。源氏名「みわ」を言い募り、DQNっぷりをアピール。みわでもジョンでもポチでもミケでもええやん。「名前は大事です」って、くだらん何かのドラマにあったなあ。ああ、朝ドラ「花子とアン」だわ。
惹句は「幕末男子の育て方。」から「志まげませぬ」だっけへ移行し、作品テーマがいよいよ崩壊した「花燃ゆ」。既存視聴者は「志」にうんざり、新規客にとっては「志」がなんだかわからない。最低のコピーです。
今日は、大河ドラマのテーマについて考えてみるべく、1976年12月17日付の読売新聞夕刊「収録すすむ大河ドラマ『花神』」より引用します。
(前略)スタジオをのぞいた日は、ちょうど吉田松陰役の篠田三郎と金子重之助役の岡本信人が密航をくわだて、下田港から小舟でペリー艦隊に向かうシーン。2人が必死になって小舟をあやつる場面を延々と続ける。スタジオ内にはペリー艦隊の隊員になる外国人もたくさんいて、日本語と英語がとびかうにぎやかさだ。
(中略)プロデューサーの成島庸夫さんはこんな抱負を語る。
「これまでの大河ドラマは1人の英雄中心のドラマだった。15作目というひとつの節目なので今回はねらいを、村田蔵六をとりまく群像を描くことに焦点をしぼります。だからエリートではなくて、幕末に忙しく動いた若者たちのいわば、“群像劇”、この点がこれまでとは違う新しい視点です」
撮影はすでに着々と進んでいる。ドラマの舞台となる山口県萩市、山口市の現地ロケを皮切りに撮影を開始。ここで村田蔵六役の中村梅之助、蔵六に愛情を抱く混血女性イネの浅丘ルリ子、高杉晋作役の篠田三郎、蔵六の妻お琴役の加賀まり子(ママ)らが勢ぞろいした。スタジオ収録は先月初旬から始められ、年内は30日まで8回放送分が収録される。
幕末ものだが、仕掛けはなかなか大変。先週は東宝特撮プールで黒船の撮影が行われた。黒船は幕末期の日本人の精神に大きな影響を与えたシンボル。ドラマでも重要な役割をになうとあって特別製作、放送では4回目の「ペリー来航」から登場する。
このほかスタッフを悩ませたのはオランダ医学を原語で読んで訳すシーン。どんな本で、いったいどんな訳語を使っていたのか。ありあわせですますことも出来ず、順天堂大の医学史の専門家から助言をえてやっと当時を再現できたという。衣装では幕末期の帝政ロシアの海軍服がわからず難航したともいう。(引用おしまい)
何がテーマで、いかなる視点なのか。「花神」には、放映前からスタッフの努力が費やされた跡があります。「焦点をしぼる」「黒船はシンボルだから特別製作」。「花燃ゆ」にはない観点です。絞った焦点、狙った主題をいまだに提出できない「花燃ゆ」の迷走は痛々しい。
キャッチフレーズが「志まげませぬ」。ああ、イタい。テーマを確定するために、一般視聴者から惹句を募集するのはいかが? 「◯◯まげませぬ」でいってみましょうか。選考委員長は島田敏男さん。「出兵まげませぬ」「後方支援まげませぬ」等々、公共放送的にいろいろそんたくしたステキな惹句が集まることでしょう。「憲法まげます」というのはどうですか。

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