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2015/06/22

「花燃ゆ」第25話感想「カスになるとも」

山口県萩市と長門市の新可燃ごみ処分場が、4月から供用開始されているそうです。その施設の愛称が「はなもゆ」。処分場の耐用年数がどれほどなのか知りませんが、ドラマが終わって、みんながその存在を忘れ去っても、少なくとも数十年の間、処分場は「はなもゆ、はなもゆ」と呼ばれ続けるわけです。公共施設にDQNネームを付けてしまいました。
燃やそうにも燃やしようがない「花燃ゆ」第25回「風になる友」を見ました。長かった〜。ものすごい徒労感。息つぐヒマもない大島里美さんワールド全開でした。
アバンタイトルが異常に長い。不燃エピソード満載です。「生きては出られぬ野山獄」にヒロインが来ると、松陰がいた頃のパラダイスが思い出されてイライラします。
「何か私に力になれることはございませんか」。ございませんよ。だって君、長州の役に立っていないじゃない。八ツ橋モドキでも試作していればよろしい。ところが、高杉晋作が久坂へ手紙を届けろ、なんて特命を託しちゃう。文が極秘の連絡ルートを握っているのなら、脚本はそこを描かねば大河史上最悪の無能主人公として指弾されますよ。いや、すでにされてるんですけど。
高杉のプレグナント嫁も獄へ。お腹の子に「あなたのお父上は、立派な志を貫こうとなさっています」と語りかけます。でもこいつ、やがて妻子ほったらかしにして、愛人連れで四国を逃げ回る男ですよ。過度の期待は抱かない方が身のためでしょう。
京の「藩邸が脱藩浪士たちの棲み家となっていた」とのナレーションには驚きました。脱藩って重罪なんですよ。殿様への不満分子に乗っ取られた京屋敷は、桂小五郎ではコントロールできない悪の巣窟に成り果てたのでしょうか。時に長州藩では藩士ではない浪人が他国に出ても「脱藩」扱いになったのでしょうか?
その桂と久坂玄瑞のやりとりが意味不明です。来島又兵衛ら進発派の暴発を防がんとしていたのが、天皇への薩摩の重石が取れたと聞いた途端に過激派に乗り換えですか。志、グラッグラですが。
滑舌の悪い久坂は「必ずお父さんを説得する」と言い切ります。お父さん? ああ、携帯電話のCMに出てくる白い犬のことね。それとも、お殿様と言いたかったのか。どちらにしろ北大路欣也さん、その人です。
極秘に動く密使が、「今度山口に帰るからね」と家族に手紙を送ってきました。総出で漬物、着物や返書の心配を始めます。下々にまで居場所が知られているセレブ久坂玄瑞。新撰組は杉家を拷問にかければ、たちまち長州志士を一網打尽にできますよ。
なっがーいアバンタイトルがやっと終わり、舞台は長崎へ。秘密兵器であり、大切な高額商品であるガトリング砲を野ざらしにしているグラバー。出荷直前だったんでしょうか? 河井継之助は別のオランダ商人から買っているので、だれが顧客なんだろう。弾倉らしき物体が銃身に載っかっていましたが、どうやって給弾するのかナゾです。
グラバーさん、葉巻嫌いなんでしょうな。吸い方が下手くそです。慣れていない感がありあり。「ごちそうさん」とかにちょろちょろ出ていたアルバイト外国人だからしょうがないのか。一橋慶喜、島津久光はじめ、この大河はアマチュアを出し過ぎです。
犬のお父さん毛利の殿様を前に、久坂は来島又兵衛サイドに付いて、出兵を促します。桂の面目は丸つぶれですね。嫡子元徳は「進発を叫ぶ者たちも京へ上れば気が晴れましょう」なんて屁理屈。ワルガキ学校の修学旅行レベルのプランで天下を取ろうとしたんですか?
池田屋で松陰の言葉を現代語訳する桂。集まった志士はきっと、そろって教養のない馬鹿だったんでしょう。
夫婦間シーン乱造のためにしょっちゅう帰国する幕末の志士・玄瑞と対面したヒロインは「よかった。戦になったらどねえしようと。よかった」とおめきます。歴史ドラマの視聴者は通常、その時代のアウトラインが頭に入った状態で臨んでいますよね。そこへ、主人公がその世界と社会を読めない薄馬鹿みたいに描写されたら、視聴者の心が離れていく旨をご理解いただきたい。大島さん、あなたヒロインを殺しにかかっているのですよ。
次は玄瑞クンに家族からのお手紙コーナー。一人ひとりの手紙をキャストが読み上げます。おじさんはライブで見ていたのに、見たくなさのあまり、レコーダーの早送りボタンを必死に押し続けていました。これは大河どころか、成年者が作るドラマではありません。いいとこ「声の高校卒業アルバム」。一般視聴者が恥ずかしいと思う感性と、プロのそれとは違うんでしょうか。
「お前が俺に家族をくれた」とほざく久坂。芸妓辰路との不倫問題はどこやった? 作劇上での解決を視聴者に見せていないので、クズ野郎が何を口走ってもお寒いだけです。
さてさて、やっと池田屋事件です。やっとこレキシの時間だあ。新撰組が座敷に乱入してから、ようやく抜刀するヤツがいます。文字通りのおっとり刀。雑な演出だなあ。路傍をうろつく久坂なんかに高速度撮影を無駄遣いせずに、この見せ場に1カ所だけキラっと投げ込めば効果が上がるのに。沖田総司とカメラの間に斬られ役の図体がかぶさって、まあひどいもんです。予想はしていたけれど、「階段落ち」もなし。あの怪優・汐路章が「花燃ゆ」を見たら、さぞ鼻白んだことでしょう。
藩邸に助太刀を頼むと脱出した桂は、吉田稔麿が池田屋に帰る決意を語った刹那、「今戻ればムダ死にじゃあ!」。わははははは、やっぱり最初からこいつ逃げる気のみだったんだ。「逃げの桂」の本領発揮です。桂小五郎を描く上でも、露骨にクズとして扱うんですね。
郷里の久坂、「えろう風が冷たいのう」。その風は吉田稔麿の死を知らせる冷気だったのでしょうか……。おい、ちょっと待て。池田屋事件は新暦で7月です。その時期なら「風が冷たい」ではなく、「今日は涼しいのう」でなくてはおかしい。相変わらず服装にも季節感がありません。
決死の覚悟で駆けた稔麿の死に方も、あれじゃ何の益もないチンピラのケンカです。何の同情もわかない。
視聴者のシラケっぷりをよそに、久坂は国を思って死んだ稔麿に感情移入。「あいつらが憎い。カタキを取る。戦になっても構わん。俺が殺しちゃる」。完全に私怨じゃないか。お前、国士じゃなかったのか?
弔辞を述べる嫁。「あの人はいつも優しく、家族思いで……」。またも始まったセリフロンダリング。そういうことは、生きている時に提出しときましょうね。
空気の読めない嫁は、「こぢんまりとした家で、離れには塾」などと夢を語りました。小坂明子さんの「あなた」を劇伴に流せばよろしい。もーしもー、わたしがー、家を建てたなーらー♪
そして久坂は、将来の子づくりの可能性について、妻に語るのでした。「(将来は)久米次郎の下に弟や妹もおるかもしれん」。きょうだい、できるよ。不倫相手の女の腹から生まれてきますけどね。ここ、コントなんですか?
すべてに脱力した本作。方言のひどさ一つとっても、その無気力を感じることができます。今日は、プロ同士が真剣に特殊な言葉に挑む姿を紹介することで猛省を促します。1980年、東宝劇場は皇女和宮替え玉説が話題になった「和宮様御留(かずのみやさまおとめ)」(小幡欣治脚本・演出)を上演します。原作者の有吉佐和子が、司葉子さん、草笛光子さんらキャストに「御所言葉」を直接レクチャーしました。同年5月31日付の読売新聞「有吉さんが“御所言葉”を教授」から引用します。
(前略)この芝居、朝廷から徳川家に降嫁した皇女和宮がニセものだったという内容を描いた作品で、それだけに耳なれないややこしい言葉がせりふに出てくる。
「ごきげんよう」はともかくとして、「いもじ」(妹)「ひろう」(歩く)などから「あらっしゃる」とか「ならっしゃりまして」とか。
「感情を込めて夢中でしゃべり出すと、まるで外国語みたいになっちゃう。意味もしっかりつかめないまま言ってることが多いので、もう一度有吉先生のご講義をお願いしたんです」と司、草笛。
「小幡さんがふん囲気をつかんで胸にきゅーっとくるいい脚本にまとめて下さったんです。その小幡さんも御所言葉はご存じないから、せりふの部分を大阪弁でお書きになったのね。そこだけ頼まれて私が手を加えたんですけど、この間けいこをのぞいたら女優さんたちがレロレロ。これじゃいけないと思ってまた出かけてきたの」
初舞台でニセの和宮を演じる竹下景子だけが、実は召使いという役だけにこの御所言葉にかかわりなし。有吉さんの前で外国語の発声練習のように口を開ける先輩たちの姿を、じっと見守っていた。(引用おしまい)
「花燃ゆ」で三条実美に御所言葉を使わせず、下町のおっさんキャラにした脚本、それを座視するままにしたスタッフは、有吉佐和子と女優たちの情熱に考えが及ばないのでしょう。視聴者が燃えない不燃の「花燃ゆ」、制作の不燃性が視聴者に見透かされている「花燃ゆ」。どこかでちゃんと燃やしてくれないものでしょうか。