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2015/04/21

さよなら民主党

民主党の枝野幸男幹事長が、自民党から聴取を受けたNHKとテレビ朝日に対して、「矜持はないのか」と両局を批判した報道をもって、この政党を完全に見限ることにしました。
枝野さんの言葉でいう「のこのこと」局の幹部が呼び出しに応じたのは、彼らが与党に比して弱者だからです。国会議員から放送免許の更新をちらつかせられた上で、来いと言われれば、ガタガタブルブル震えながらも応じるしかないじゃありませんか。
もちろん、自民党の振る舞いは、放送法を拡大解釈した、いじめです。糾されるべきはいじめる側のみであるべし。枝野幹事長の「体育館の後ろに呼び出されたらボコボコにされるのがわかってるくせに、のこのこついて行くのもついて行くほうだ」との言い様は、弱い者の痛みが理解できない人の思い上がりです。「いじめられる方にも非がある」との自己責任論なのですか?
ついこの間、川崎市で中学生が殺された事件がありましたね。あの子は、何かしらの被害に遭う危険性を察知することなく、多摩川の河原まで「のこのことついて行った」のですか?  いじめられる側にはあらがう術がないから、従うしかなかったのでしょうよ。
NHKの籾井勝人会長が民主党相手に傲岸不遜な態度を取れたのは、あの人が世の中の仕組みを知らないからに他ならない特殊な事例です。普通の会長であれば、いくら落陽の野党相手とはいえ、組織の予算決定権を握る議員のセンセイ方に恐縮し続けるしかないでしょ。枝野さんの考え方だと、籾井会長は矜持のある立派な人物になっちゃいますけど、それでいいの?
沖縄の基地移転問題にしても、原発再稼働にも、国会が機能している印象がありません。テレビ局いじめをやめさせるための議論すらできない野党は、思考停止していると指弾されても仕方がないのではないですか?  あんな与党とこんな野党を野放しにしている日本全体の空気が気持ち悪いのです。
「キネマ旬報」5月号に在日コリアン2世のヤン・ヨンヒ監督のコメントが載っていました。以下に引用します。
(前略)最近偶然に数人の映画関係者から「韓国やアメリカは社会に問題が多いからネタがいっぱいあって、映画がおもしろい。日本はそうじゃないからね」という意見を聞き、「日本に問題が少ないのではなく、見えていないだけなのでは?」と、感じていました。社会が見えないと人が見えないし、人をちゃんと見ようとすると社会も見なきゃいけない。そういう意味での「視力」の悪さがすごく気になります。(引用おしまい)
みんなで考えなきゃいけない問題だし、極悪選良と呼ばれる議員さん方は、なおさら自分の「視力」を気にしなければならないのではないのでしょうか。
東日本大震災からまだ間もないころ、図書館の上映会でジャン・ルノワール監督の映画「南部の人」を見る機会がありました。貧農が苦労の末に得た資産と農地を、天災によって瞬時にして失います。そこから再起を誓う登場人物のセリフに、涙が止まりませんでした。
おじさんは、人間には想像力があると信じています。特に政治家とは、それを備えている人なのだと願っています。でも、なかなかそうはいかないんですね。1947年11月11日付の朝日新聞「天声人語」より引用します。
(前略)片山(哲)首相や西尾(末広)国務相もたまに映画を見に行くそうだが、映画を解しているかどうかは別問題だ。ジャン・ルノアールの「南部の人」を閣僚たちに見せたら、その一人は、「実にいい」と絶賛した。そしてこの人は「活動写真というもの」を見たのはこれが初めてだという。心細い話である。
それでいて国会などでは「文化国家の建設」を堂々と叫ぼうというのだからいよいよ心細くなる。(引用おしまい)
安倍晋三首相が「我が軍」と発言した際に、枝野さんは「我が国の自衛隊であり、安倍さんのものではない」などと、とんちんかんな発言をかましました。
問題にすべきは「我が」ではなく、「軍」です。戦前の新聞縮刷版をチェックすれば、我が軍の「我が」は国民全体を指すのだとすぐにわかります。憲法9条を無視して自衛隊を軍隊だと呼ぶ安倍さんの真意は、「私の内閣は立憲主義に基づきませんよ」じゃないですか。政敵の意図をきちんと理解しなければ、安倍さんにも失礼です。
枝野さんは、近くにある国会図書館に行って縮刷版を閲覧するヒマもないのですか?  国会議員とは、つくづく忙しい稼業なんですね。歴史に学ばぬ政治家は信用できません。
社会への想像力を欠く民主党には、ルノワールの名作「南部の人」の議員上映会を開くよう勧めます。
それでも今のままだったら?  さっさと解党してしまえ。