ふたつ、フラチな悪演ざんまい
みっつ、みにくい松下の餓鬼を、退治てくれよう、掃部守(かもんのかみ)
派手な衣装と鬼面を着けた井伊掃部守直弼が、上記のセリフとともに桃太郎侍よろしく、カルト集団みたいになってる松下村塾に乗り込んで、連中を皆殺しにする安政の大獄はいかが? これで話が先に進みます。吉田松陰が「者ども、出合え! 出合え!」ってか。
40代半ばで没した井伊を、70過ぎの高橋英樹さんが演じていることに無理があるのですが、その年齢的ギャップ以上に、井伊が安政の大獄にひた走る動機が提出されていないので、視聴者はどこに感情移入したら良いのやら。尊王上等、攘夷結構、開国万歳。でも、双方の具体的な行動が何にも出てこないから、視聴者はどこに価値観を置いたらよいのでしょう?
吉田松陰の「アメリカ列強による無理無題な開国」なる建白書は、その無理無題が視聴者に示されていないので、セリフに起こすこと自体が無理無題。松陰の建白書を借りれば、「脚本家がもっとも愚かな病。自分が病んどるということを自覚しとらんことじゃ」。
藩主に建白書を見せない周布政之助の判断は、完全に正しい。狂人のたわごとをいちいち殿様に持っていく家来はいません。中心人物である松陰・小田村伊之助の言動が支離滅裂。早くも「江〜姫たちの戦国〜」超えの予感がします。
久坂玄瑞が江戸でのうのうとしている根拠も不明。えーと、今のところ藩は過激派を煙たがって、 暴発を恐れているわけですよね。ひっ捕らえるのが上意下達の武家社会のならいだと思うのですが、江戸屋敷が全国指名手配容疑者の隠蔽機関になっとる。桂小五郎は、なぜ「松陰先生」の尊称を使う? ゆえなき吉田松陰の神格化が戦前のようで気持ち悪いです。死を恐れていては事は為せん=特攻隊?
「事を為す」「志」「国を思う」を絶対の金言に、幕閣暗殺へと暴走する一派。すげえ、このテロ大河。ただでさえ滞る話をぶち切る、おにぎり満載のお盆を抱えた主人公が邪魔で仕方がありません。オヤジが「命をかけて忠義を尽くせと、寅に教えたんはわしじゃった」と回想してみたところで、松陰の「忠義」の対象が意味不明なままでは、松下村塾=テロ組織のイメージは強化されるのみです。革命原理主義塾生が口走る、「自分のような身分の低い者でも志を持てばお国の役に立てる」などというセリフを聞くと、70年前から現在に連なる世界の闇が重なって、ますますイヤ〜な気分になるのです。
こんなキケンなダメドラでこそ悪役の悲哀をかこっていますが、実は高橋英樹さんほど時代劇の現場を大事に考える人はいないのです。1981年3月1日付の読売新聞「番組を語る 桃太郎侍」から引用します。
(前略)私は、時代劇を演じて十数年になりますが、一つの番組をこんなに長く続けるのはこれが初めてです。一本一本の積み重ねの結果ですが、裏でスタッフが様々に努力して下さる結果でもあるのです。ストーリーは、現代社会に起こる誘かい、汚職、殺人などの事件も参考にし、衣装一つでも慎重に選んでいます。高橋英樹さんは、青二才が脚本をこしらえ、青二才が演出し、青二才が演じる、崩壊した本作をどうとらえているのでしょう? 「時代劇の本流を放棄したと自覚すると同時に、俳優がひどい企画にさらされ、1年間恥をかかされることは大きな芸の損失だと感謝できません」と言いたいのではないでしょうか。
(中略)時代劇のクライマックスは何といっても最後の立ち回りです。日本一と私が思う東映剣会の方々に囲まれながら、桃太郎は豪華な装束で、“一つ、人の世生き血をすすり”の数え歌を言いながら悪人を切り捨てます。
このシーンは、最初のころはなく、半年ぐらいたったあと、ショーアップをはかる何かをということで、監督や脚本家らと相談して生まれたものです。数え歌は三番までしか使っていませんが、実は十番までありました。十番までやったら殺陣だけで番組の半分になると大笑いしたことを覚えています。鬼面をつけての登場、殺陣後の血ぶるい、悪人を切り緊張がゆるんだあとの長い息のはき出しなど、実際に演じ続けているうちに自然にかためて来たことです。ちょっとオーバーかなとも思いますがお許し下さい。
なお、私の殺陣はけんか殺法ではなく、流れるような美しさを基本に、殺陣師の方と相談しながらカットを積み重ねています。
(中略)時代劇のメッカ、東映京都撮影所で撮るこの番組は、時代劇の本流を今に受け継ぐ作品と自負すると同時に、俳優が良い企画に恵まれ、長寿番組を持てることは大きな財産だと感謝しています。(引用おしまい)