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2015/01/04

紅白歌合戦に思う

あけましておめでとうございます。
大晦日の午前中、NHKのラジオを流していたら、ライザ・ミネリの名演ミュージカル映画「キャバレー」の主題歌がかかって、若いころ散々聴いていたのに改めてノックアウトされました。
こんなすごい曲を聴かされた日の晩に紅白歌合戦見るのかあ。モチベーション保てるのかしら、と心配しながら臨んだ視聴。紅組司会者の女優さんの話す内容が聴き取れなくて、歌以前にイライラしました。「花子とアン」でもそうでしたが、彼女、語頭を除くタ行・ハ行の清音が濁音に聞こえる滑舌の悪さが顕著です。
中島みゆきさんの「麦の唄」では、崩壊した脚本の性格付けにより、日本中の茶の間の嫌われ者と化したマッサン夫婦が手をつないだバストアップショットを投げ込んできました。「あまちゃんオールスターズ」が圧倒的な演奏力とグルーブを披露した一昨年とはうって変わった、朝ドラ勢が悪目立ちする事態となりましたね。
他には、マルチタレント福山雅治さんが演奏終わりにギターを振る仕草が鼻につきました。バンドに演奏終了の合図を送って、バンマスたる存在感を示したかったのかもしれませんが、あそこは修正の利かない小学生たちの録画歌唱に、演奏者が合わせるべきです。音楽を真剣に茶の間へ届けるつもりならそうしてほしかった。スターの合図など無意味。
紅白はみんな仲良し風のお祭りであると同時に、出場者がその芸能を披露する競争の頂点たる舞台。歌手も、歌わない人も、現状に満足することなくプロであってもらいたいものです。
互いに仲良し芸能人でも結構。そこに両者の批評があって、芸が向上すれば理想的です。
女優の淡路恵子が亡くなって間もなく1年。彼女と先輩女優沢村貞子の関係から、その点について考えてみます。1962年11月27日付の読売新聞夕刊「コンビで行こう43 沢村貞子・淡路恵子」から引用します。
ご存じ「若い季節」(NHKテレビ)の常連である。ねえさんの沢村貞子が、料亭「沢村」を切りまわすおかみ。妹の淡路恵子は、化粧品会社「プランタン」の女社長。映画(東宝)の場合も、これは変わらなかった。若いタレントの多いこの人気番組で扇のカナメともいうべきふたりだ。
もちろん“ねえさん”の方が大先輩。沢村貞子が演劇から映画にデビューしたのは、昭和9年だし、淡路恵子が「野良犬」に初出演したのは、24年だった。そして淡路が松竹にいたころ、沢村はもっぱらその母親役で、何本か共演した。親子が姉妹になったわけだが「もうすぐ、私の方が親になるんじゃないかしら?」と笑う、淡路である。
とにかく仲がいい。先週は、1週間のうちに3日間も、淡路が沢村の家に“滞在”した。東西南北の研究、つまりマージャンが“主題”だそうだ。両方とも、この道では名が通っている。
映画の方では、いまそろって「駅前飯店」(東京映画)に出演中。どちらも実にたくさんの映画に出る。「なんでもやるのが役者だ」という方針だ。役にえりごのみしない主義なのである。沢村が現在代表的バイ・プレイヤーであるのはもちろんだが、淡路の方も、かならずしも彼女の主演ではない映画で彼女ならではの味を出すようになった。
「いまの淡路さん、うまい女優よ。独特のお色気は、ほかの人のマネできるもんじゃないわ」という沢村貞子。(引用おしまい)
沢村との交友が深まるにつれ、淡路の役の幅、演技力が向上しているのがわかります。そのお墨付きは名優沢村貞子によるものです。仕事に厳しい、浅草育ちの江戸っ子沢村が、お友達だからといっておべんちゃらを新聞にしゃべるとも思えない。
淡路は当時、フィリピン人歌手と事実婚関係にありました。相手は宗教上の理由から先妻と離婚できず、三十路を控えた淡路の私生活は不安定だったと想像できるのですが、なお彼女の芸能生活が充実していた裏には、沢村の公私にわたる助言や指導があったのではないでしょうか。
一般社会も同じですね。 先輩に引き上げられた人が、いつしか後輩を引き上げる立場に変わる。時にはそこに切磋琢磨の関係があってもいい。あまちゃんオールスターズには、そんな感じがありました。福山雅治さんだと入れてもらえない、職人の厳しさが音にある。2015年、そんな熱気を何度感じることができるでしょう。
本年もよろしくお願いいたします。