米軍兵の空軍基地を、「世界一危険」な普天間から辺野古に移転する問題は、外交安全保障のみならず地方自治や地域住民の人権にもかかわるはずなのに、中央のメディアも市民も無関心。明日は我が身なんですが。
辺野古でのボーリング調査を知事選前に終わらせて、移転を既成事実化すれば、選挙の争点にならぬと考えるのは、権力の傲岸不遜です。
軍事が国民の生命財産に優先する思考は、軍国主義のものです。ところが、残念ながら民主主義だとされる国にあっても、こんな事例は沖縄だけにとどまりません。
今日は米軍基地によって故郷を追い出された上、貧困の底に投げ込まれた、インド洋の小さな島の人たちのお話を読んで下さい。1975年9月11日付の毎日新聞「大国のかげに泣く島」から引用します。
インド洋に浮かぶ英領ジエゴガルシア(Diego Garcia)の住民たちが、米軍基地建設のため永年住み慣れた島を追いたてられ、モーリシャスで窮迫した生活を送っているーー10日の英紙「ガーディアン」は住民の訴えに基づいて、大国の軍事進出の裏に、隠れた「孤島哀史」を明るみに出した。
南アジアの戦略的拠点を占めるジエゴガルシア島の米海空軍基地は、この方面でのソ連軍事力拡大に備えるとともに、スエズ以東からの撤兵を進めている英軍の肩代わりを兼ねるもので、米国はすでに上院の承認を得て、建設に着手している。
ガーディアン紙によれば、66年から71年末にかけて、島のコプラヤシ園で働く全島民434家族計千人がひそかにモーリシャスに移住させられた。
モーリシャスは東インド洋の人口わずか83万の島国。英植民地から独立したのが68年3月だから、移住作戦は独立以前から始まっていたことになる。「当時、われわれには何の発言権もなかった」とロンドンのモーリシャス高等弁務官事務所はその苦しい立場を説明しているが、こうして付近の島から移り住んで3代、4代と経た島民達は米政府職員に追いたてられて、モーリシャスへ移動した。(引用おしまい)
インド洋の小島とモーリシャスは、沖縄に酷似していませんか? 有名無実の琉球政府は戦後、米国が基地や施設を造るに任せるしかなく、それらの建設と運用によって、大勢の沖縄の人たちが住まいや職を追われました。米国に安全保障を委ねる日本政府は、そのままイギリスに重なります。
オキナワはかわいそうだけど、しょうがないね、で済ませてはいけない。それは差別意識です。差別を許容すれば、次は自分が差別される番がやってくる。学業、給与、納税、年金、介護……。
沖縄の知事は沖縄県民が決めるべきであること、言うを待ちませんが、我々国民には十分な関心を持つ義務があると、おじさんは思います。沖縄県民のためでもあり、自身の暮らしを守るための義務です。この項、続きます。