ちょっと、聞いたって。1年ちょい前、大阪に料理屋でけたんよ。「朝からお腹が空く」いうさかい行ってみたら、高級食材ばっかつこてるクセに、めちゃめちゃマズいねん。
ハモ食わして言うたら、けったいな菓子まがい出して、ハモニカやからハモやぬかす。タネ切れたら、いっつもお握りや。気に入らん客の茶には虫入れよんねんで。
客の質も悪なって、酔いくろた年寄りが朝からゲーしよる。床に落ちたミンチカツ食うて不衛生やなあ思てたら、祭りで食中毒起こして総スカンや。ほいでも半年も店開けとってん。
話はこっからや。最近、跡地に良さげなスコティッシュバーがオープンしてな。本格やいう割に、いきなしキツい原酒つぎよって客あしらい酷いんやわ。
ほんで、奥をようよう見たらな。経営者もマネージャーも、前の店と一緒や! 内装も居抜きで全部おんなじ。最悪やろ。
店の名前か? 「ごちそうマッさん」いうねん。(「本当にあった怖い朝ドラ」より)
「マッサン」が「ごちそうさん」コピーの駄作だとわかって、少し気が楽になりました。なにしろ、鑑賞のメルクマールが「ごちそうさん」。アレに最後まで付き合ったおじさんは、多少のクサレエピにも動じない自信があります。
とはいえ、人間には許容範囲があるもの。今朝の土下座フェスティバルは何だったの?
社長と主人公(有利な展開になった途端に土下座を止めたが)はともかく、ウイスキー醸造にさほど関心があるように描かれていない一般社員までが床に這いつくばって、アホちゃいます?
日本人にとって、土下座は恥辱を伴う相当な覚悟のはず。その精神風土を理解せずして、公共放送で土下座バーゲンをやらかして良いはずがない。中身がごちレベルだからって、それをやりたい放題の錦の御旗にされてもなあ。
今日は、大正時代に庶民が土下座行為についていかに考えていたかを紹介します。1917年11月7日付の東京朝日新聞の投書欄「鉄箒」の「『下に居ろ(注・大名行列のかけ声)』以上の圧政的敬礼法」から引用します。句読点や仮名遣いは、おじさんが現代風に直しています。
近ごろ最も慨す(注・怒る)べきは、官僚の徒がさてもすれば上におもねるの極、国民を奴隷扱いにすることである。這次(注・今回)文部省が端座敬礼法を定めて、これを各学校に通牒した一事のごときは、その最もはなはだしきものではないか。
文部当局は言う。地方に行くと、ずいぶん道幅の狭い所を陛下が通行遊ばす場合がままある。そこへ学校生徒が端座する事例をしばしば見る。中には土下座する児童などもある。かくては統一上不体裁ばかりでなく敬礼の主旨にもとるから、端座敬礼の新令を設けたのである、と。
端座と土下座とドンナ相違がある。気を付けの号令で端座し、次の号令で両手をすぐ前の地上に置き、体の上部を前方に屈して(約45度)、御車に注目せしめ、直れの号令で元の姿勢に復せしむるというが新令だというではないか。シテ見ると、やはり地上に座らせて敬礼させようというのである。地上に座らする以上、態度のそれは土下座と少しも変わりはない。
王朝時代は知らないが、土下座は封建の世にもあった。その世には最もはなはだしき悪風として行われた。専制君主の強制によれる奴隷的慣習であったのである。(引用おしまい)
土下座は謝罪に限らず、やる側にとって屈辱的な作法でした。投書子は「奴隷的」とまで書いています。洋服店やコンビニで、客が店員に土下座を強制する度にネットが炎上するのを見るに、その感覚は現在も共有されていると考えて間違いないでしょう。
土下座の重い意味に気がつかない、「マッサン」制作陣の軽さ。「ごちそうさん」のころから学ばぬ、大阪放送局の重篤な病です。