前項からの続きです。全国ツアーの舞台を控えたタモリさんは、本職である笑い、漫才ブームにも言及します。引き続き、1981年4月8日の朝日新聞「新人・旧人」から引用します。記者の筆による「タモリ感」は割愛しています。
漫才ブームでもね、「ボクたちの本音を言ってくれるから面白い」なんて意見がある。こういうのを聞いてると、ほんとは笑いの世界も中身は笑いじゃなくなっているのかもしれない。マジメの世界とおんなじじゃないか、という気もするんですね。今、漫才のお客さんのほとんどが若い女の子でしょ。女のパワーってのがすごいんですよね。タノキン(注・たのきんトリオ、当時人気の田原俊彦、近藤真彦、野村義男を指す)作ってんのは全部女でしょ。ニューミュージック支えてんのも女でしょ。アングラ劇団行っても客の半数以上は女ですよ。男は何物も作ってないスよ。男はなーんにもやってない。だらしないスよ、若い男は。どうしてこうなっちゃったのかね。若いやつが全然わからんスよ。それを見極めてみたいってのもあるんですがね、今度のツアーは。女の文化、おもしろくないでしょ。女の文化って日本のマジメ文化、泣き文化と重なり合ってますよ。それに男が加担してる。男の文化を作らなきゃいかん、とあちこちで言っとるんスよ。何の反応もないスねェ、今のところ。(引用おしまい)
誤解のないよう補足しておくと、女性が「おもしろくない女の文化」をつくっている、との主旨ではありません。
男が加担、というよりも男が主導して、これが女向けでしょ、とばかりにつくられたモノのみを生産し、消費させている風潮がおかしいと。
漫才やってるプロなら、ヤンキーや青年の主張となんら変わらぬレベルから脱却せよとも臭わせていますね。
一番の肝は、若い男性がもっと自分の求めるモノが何なのか提出しろ、ということでしょう。女はダシです。
果たしてタモリさんはこのツアーで、男の文化創造への希望を見極めることができたのでしょうか? 「若いやつら」は、その何かを感じさせられたのでしょうか?
国の大事を決める政治家が、法律論ではなく、船に乗ったおじいさんやこどもたちを引き合いに出して情緒(泣き)に訴える社会は、タモリさんが嫌った、つまらん女の文化の時代から何も変わってこなかった気もしますが。