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2014/10/14

タモリに歴史あり(1)

タモリという芸人さんのすごみは、芸能界と呼ばれる世界、言い換えればギルド、互助会の決まり・枠に安住していないところだと思います。
忘れもしない1981年9月、オリンピック開催地がソウルに決まり、名古屋が敗れた日、名古屋人の性癖をネタに笑いを取り続けてきた「タモリのオールナイトニッポン」は、彼の爽快なる高笑いから始まったと記憶しています。景気を当て込んだナゴヤ財界も揶揄していたような気がする。今だったら、「韓国推しの反日野郎」とかネットで叩かれるんだろうな。
このころのタモリさんには、権威だろうが何だろうが面白ければ嗤う、という世間では確実に露悪趣味と取られる言動を、わざと押し出していました。
ニューミュージックを女々しいと、「さだまさし」などの具体名を挙げてバカにする。社長やサラリーマンのアマゴルファーをコケにする。すでに権威付けがなされた物事でも、感性が合わねば平気で噛みつく、笑いのアナキストでした。
1981年、タモリさんは全国を回る舞台公演「ラジカル・ヒステリー・ツアー」を行いました。それを前にしたインタビュー記事に、彼の原点が垣間見えるような気がします。「垣間見える」との言い方をしたのは、この人の場合はメディアを相手にしていても、どこまでが本気でどこからが冗談だかわからないからです。1981年4月8日の朝日新聞「新人・旧人」から引用します。記者の筆による「タモリ感」は割愛しています。
日本てのは泣きの民族ですよね。重いもの、悲しいものは高級であるというような感じ方。たとえば純文学の力、あるいは軟派系ニューミュージックが受け入れられる。詩なんか愚劣としか言いようのないものが、日本の情緒だなんてこと言われてもてはやされる。真剣、あるいは深刻を装ったものであればいいわけですよね。僕は、そういうものにだまされたってのがあるんスね。違うんじゃないかと思いながら信じてた。でも実は問題をほじくり出して並べたててる、それで高級だってふうに見せかけてる、それに気がつき始めると腹が立ってくるんスね。今やってるアナーキーなことってのは、自分にスクエアなとこがあったから、それへの憎悪でやってるってとこ、ありますね。今、笑いの時代なんて言われますよね。だけど、若いやつを見てるとどうも違う。たとえば暴走族が「親は大切にしたい」なんて言う。アンケートで尊敬する人は両親て答えがものすごく多い。これなんかボクには信じられない。先生に暴力ふるうやつが「かまってくれない」とか「落ちこぼされた」とかっていうのも不思議な感じですねェ。ワルぶってるだけで根がマジメなんですよ、みんな。逆に「先生のあのひと言で私は立ち直りました」っていう「青年の主張」的なやつとおーんなじことでしょ。(引用おしまい)
タモリさんには権威という概念がない。いや、権威に縛られて芸能界で生かされていくつもりが毛頭ありませんね。
音楽産業や文学の一翼を担う「泣きの日本文化」にも容赦せず、ヤンキーの精神と青年の主張は同じだと喝破する。30代半ばにして判断の物差しが自身にある。大事なことです。おじさんは弱い人間だから、ここまで流されっぱなし。この人、エラいわ。
タモリさんの主張は、専門分野である「お笑い」にも及びます。この項、続きます