江田三郎と佐々木更三の党内抗争に国民が愛想を尽かし、社会党が大きく議席を減らした1969年総選挙で初当選。すでに完全に定着していた資本主義への対応ですら、確たる指針を持てなかった社会党が、後のだらしない崩壊への助走を始めていた時期です。
新人時代の談話などを新聞の縮刷版で読む限り、土井さんは最初から現実路線派だったようです。運動家上がりではありませんから。
思い返せば、彼女の唱える男女平等思想などの根底には、いちいち日本国憲法があったように感じられます。
その節を曲げなかったから、得をしたこともあったでしょうし、それ以上に損をしてきた印象が強い。弟子筋の福島瑞穂さんにその節と熱を感じることができないのは、戦争体験が彼女にないからでしょうか? 反戦の主張に説得力を持つ政治家が、戦中派にしかいないとは、情けない国ですね。
前置きが長くなりました。今日は土井さんの政治活動の源流に目を向けます。彼女は同志社大在学中に憲法学者田畑忍の薫陶を受けました。
朝日新聞の商用データベースで「田畑忍」を検索すると、1935年の天皇機関説事件が初出でした。天皇機関説とは、国の主権は国家にあり、天皇は最高機関であるとした憲法学説。それが国対に反すると軍部・右翼等から攻撃された事件です。田畑の著書「帝国憲法逐条要義」が絶版にされました。
戦後の田畑は同大学長を務めるかたわら、希代の悪法、破壊活動防止法に反対するなど、もの言う憲法学者として活躍します。安保条約をチャラにしての日本永世中立立国を唱え続けました。
1960年7月、国会の憲法調査会が、改憲色の強い報告書を出しました。憲法論議に反対する社会党が調査会にメンバーを送らず、自民党主導の審議が進められたせいですが、それに先立ち、田畑ら関西の学者連が立ち上がります。
1964年6月29日の朝日新聞「関西の憲法政治研究会 反対を表明 憲法調査会最終報告に」から引用します。
【京都】田畑忍同志社大教授、一円一億関学大教授ら関西の大学の法律、政治学者70人で組織する憲法・政治学研究会(責任者田畑忍教授)は28日午後、京都市の同志社大学大学院で67回目の研究会を開き、来月初旬に提出される予定の憲法調査会最終報告に反対する声明を発表した。安保破棄ねえ。現代の眼でとらえると、なんとも青くさい書生論と読めないこともありません。でも、今の戦争是認の空気が充満する我が国で、もう一度原則論からものごとを考えてみるのも有意義じゃないかしら。なぜいけないことなのか、を追究する試みです。あきらめムードはよろしくありません。
最終報告書への反対声明が出されたのはこれが初めてで、同研究会ではこの声明を各政党、労組、平和団体に送り、強く憲法擁護を訴えるという。
反対声明の要旨は次の通り。
憲法調査会の最終報告書は明らかに憲法の改悪を意図したものであり、国民の利益と憲法意識を無視したものである。われわれはこの報告書に反対するとともに、憲法調査機関を国会に設置しようとする計画に対しても反対する。また「なしくずしの憲法改悪」と、その基底である安保条約権力体制に対し強く反対する。(引用おしまい)
「だめなものはだめ」と言い放ったおたかさんの思考の源流、田畑忍の意固地を歴史の側溝に流し捨て去るのは、まだもったいないですよ。