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2014/08/25

化学調味料は主婦の味方(2)

あら奥様、スーパーでお買い物されたの? 煮干にカツオ節、お醤油も。今はイリコもカツオ節も、みんな定量粉パックで使いやすいこと。デフォルトの使用量で味付けも安心。
お醤油はどちらをお使い? やっぱり全国的に売られてるラベルが安心よねえ。大量生産品はお安いし。
お刺身は特売パックのカツオ? うちもそうよ。今夜はカレー? あのメーカーのルウかしら。まあ、うちもなの。チラシ見たら明日は米国産牛セールだから焼き肉フンパツしようかと。あら、お宅もお肉? 山本さんのお宅からカレーの匂いがするわ。皆同じだと安心ね。

前項からの続きです。化学調味料の一般家庭侵略は止まりません。えっ、「侵略」は言い過ぎ? じゃあ「進出」と言い換えますか。引き続き、1974年8月8日の毎日新聞「台所戦後史 調味料の“復活”」から引用します。
5、60代の奥さんで「みそ汁の味が悪い」と、しゅうとやしゅうとめに文句をいわれたり、かつおぶしや煮干の置いてある戸ダナがまるでゴキブリの巣になって悩んだ体験を持たぬ人は少ないだろう。たったひとふりで、味をおいしくし、ダシとりの手間をはぶく「化学された白い粉」はしゅうとめにいじめられた嫁にとって、まさに救いの神だった。
その後、化学調味料は技術革新によって大幅なコストダウンをはかり、戦前の“耳かき一杯”の貴重品から大衆商品として普及。主婦たちが台所に“化学物質”やインスタント食品を気軽に取り入れる下地、あるいは“慣れ”を育てた。それがまた、食生活の合理化をうながしたが、一方ではコンブやかつおなど自然の材料を使い、母から娘へ、しゅうとめから嫁へ受け継がれてきた“おふくろの味”は台所から急速に姿を消していった。(引用おしまい)
一億中流化といっても、中身はこんな安易化だったのかもしれません。戦後食生活の欧米化への反省が叫ばれて久しいですが、ソウルフード(soul food)喪失の根本原因は、「食卓の化学化」にあったと考えた方が腑に落ちます。
続いて、和食に欠かせない醤油が出てきます。同記事から引用します。
(中略)戦後、しょうゆ業界は食品業界のトップを切って“ブランドを売る”商法を打ち出した。量産がようやく軌道に乗ったことが、きっかけ。大手メーカーは、こぞってブランドのPRにしのぎを削る。(中略)
戦前、ふつうの家庭では、しょうゆの銘柄指定買いは余り盛んではなく、むしろ、地しょうゆといった“地のもの”が重宝がられていた。だが、しょうゆメーカーの、この商法は、右手で主婦たちに、ブランド買いの習慣をつけさせ、左手で“手づくりの味”のよさを持った、小さな地しょうゆ業者の吸収、合併を促し、味の画一化のテンポを一層早めた。台所にやっとかえってきた味は、個性豊かな“おふくろの味”ではなかったのである。(引用おしまい)
 醤油一つ取っても、本来全国それぞれの個性があったのですね。それでは和食ってどんな味なのか、定義は何なのか。説明できる日本人などいまや一人もいないということです。長い年月を引き継がれてきた全国津々浦々の和食は、もはや再現不能です。
我々は70年間をかけて、基本調味料すら破棄して和食の多様性を破壊し、一本調子な味覚しか持ち合わせ得ぬ国民になり果てました。家でカツオ節削りますか? 地元で造ってる醤油使いますか?
そのクセ、「和食」なるものがユネスコ無形文化遺産に選ばれると大騒ぎ。醤油やワサビをフレンチのシェフが使えば、日本文化偉大なりと日の丸振り回す連中(テレビのバラエティ番組がそうだ)が、アボカドやチリソースを使ったメリケン寿司には、邪道だ外道だと口を極めてののしる。誤ったナショナリズムが、ここにもありますね。
かく言うおじさんも和食文化撲滅運動の加担者です。科学なるお菓子、化学のご飯を喜んで食べてきました。残った和食文化を守ろうと汗をかく生産者、料理人その他の皆さんのご健闘を心より願います。

追記:本稿には化学調味料・大手企業商品とその使用を否定する意図は一切ありません。歴史をたどることで文化の画一化の問題を考えるのみです。食物の選択は、個人の自由と責任においてなされるべきものです。