スポーツの「外国人枠」って、人権侵害にあたらないの?アムネスティは調査しないの?
欧米の植民地支配に聖戦を挑んだ皇国臣民は、「枠」という名の外国人差別を許せぬ。大和魂なくとも才能ある素材なれば、韓国プロ野球や中華棒球隊から、どんどん連れてくればよろしい。なに、日帝でプレイするのは嫌だとな?それなら強制連行してしまえ!ネイマールもロドリゲスも呼んでこい。皇民の体育振興に供するのだ。日本人相手では実力差があり過ぎて恥ずかしい?そんな物は大和魂と特攻精神で補える!
カネならあるぞ。何しろペルシャ湾あたりで戦争できるように、法解釈整備を進めておる。戦争はカネがかかるからのう。戦争に比べれば球蹴りの一人や二人、安い買い物だ。
なに、いざとなれば電気料金を上げれば良い。あれは下々から上に上に回るようになっている。関西電力の元副社長が新聞でそう言っておる。政財界は外国人選手を買え。
料金上げたところで、市民ヅラした奴らの大方は無関心である。大東亜戦争完遂を叫べば家中のナベカマ差し出した連中だ。今度も何もせぬに決まっておるわ。差別撤廃完遂だ!
そうだ、低コストで有名な原発も再稼働せにゃならん。戦争にはカネが要るのだ。川内だけだなんてみみっちいこと言うな。もんじゅも浜岡も全部動かせ。電気料金を地元に還元できるぞ。好景気じゃ、好景気じゃ。外国人を大人買いして、パンとサーカスの帝国だ!
この際、国民一般の参政権もなくすか。差別はいかんからな。指紋も残らず採ってしまえ。人種・民族差別根絶の御旗の下に集え。外国人枠をなくせば、五族協和どころかいっぺんに二十族ぐらいキョウワできるではないか。興亜?ちっちゃい、ちっちゃい。「興世」の大海へ、大和民族はその盟主として神国の港より漕ぎ出ずるのだ!
みんなはこんな汚い言葉を使っちゃダメだよ。それにしても「外国人枠」って変な制度ですね。ノンフィクション作家の石川好さんが、この日本独特の因習について卓見を示しています。1992年8月3日の朝日新聞「『外人枠』と『共存』」から引用します。
(前略)これは極めて「戦後的」な心理から来ているように思われる。敗戦のショックが、日本は外国人に弱いのだという意識を全国民的に所有してしまった。これが最大の理由だと思われるのだ。戦争に負けるとはつらいことだね。劣等感がけなげな排外主義を生むという分析におじさん、ひざを打ちました。
外国人に弱いという説明には、注釈が必要だろう。欧米人には弱く、アジア人には高圧的だという心理が私たちにはあるからだが、これも次のように考えれば納得するのではないか。つまり欧米人には戦争でコテンパンに負けた。それゆえの劣等感からくる卑屈な態度。アジア人に対しては、これまた戦争中、たいした理由もなくいじめた後ろめたさが逆作用し、高圧的となった。このアジア人に対する高圧的な態度には、彼らから逆襲されるのではないかという無意識の不安があるように思われるのである。
そもそも戦前に「外人枠」なる言葉はなかったはずではないか。ところで、ここで興味を引くのは国技・大相撲である。相撲界が「外人枠」を作らなかったのは、相撲は日本人だけしかできないとたかをくくっていたからではなかったのか。まさか金髪の横綱が誕生するなんて考えもしなかったのだ。というよりも、相撲においてなら、日本人が外国の大男たちをこてんぱんにやっつける姿を見せつけられると、無自覚に外人枠を作らなかったのかもしれない。そこに小錦や曙が出現し、あわてふためいて外人横綱不要論がでてきたわけである。
このように「外人枠」とは、敗戦の劣等感が生み出した、けなげな排外主義以外の何物でもないのだ。(引用おしまい)
日本人とよその国の人たちの一部同士が、口汚くお互いの悪口を言い合っています。 侵略されたり植民地支配を受けたりした方の歴史は、敗戦国になったこちら側とは違う性格の劣等感を醸成してしまったのかもしれません。
とはいえ、差別をする人は劣等感にさいなまれた哀れな人です。そう思われないよう、言動には気をつけなきゃいけないね。