広島市に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」(Enola Gay)のことを先週から調べていたら、搭乗員最後の生存者セオドア・バン・カーク(Theodore Van Kirk)氏の訃報が、ニュースで流れました。
戦争終盤の日本政府はさっさと白旗振ればいいものを、連戦連敗の戦況を勝ち戦に改ざんして国民をだまし続ける往生際の悪さによってヒロシマを招き、彼我の戦力・科学力の違いをなお認めずにナガサキを許しました。今日は、空襲被害の矮小化が習い性になっていた軍部と新聞が、広島への原爆投下を普通の空襲であると垂れ流した誤報を取り上げます。1945年8月7日の朝日新聞のベタ記事「広島を焼爆」から引用します。
6日7時50分頃B29二機(注・史実では3機)は広島市に侵入、焼夷弾爆弾をもって同市付近を攻撃。このため同市付近に若干の損害を蒙った(こうむった)模様である(大阪)。(引用おしまい)エノラ・ゲイは、焼夷弾なんてなまやさしい物を落としませんでした。当初は核爆弾の威力を理解できず、隠ぺいできると考えたのかもしれません。翌日の朝刊では一転、被害を大々的に喧伝して、「新型爆弾の非人道性」を責めたてています。福島第一原発事故の「レベル7」を国が認めたのが、発生の1カ月後だったのと似てますね。
原爆投下の責任をアメリカ人に問うのは楽です。でも一方で、とってもつらいけど国民の生命を軽視する軍国国家の形成を許してしまった日本人の責任も考えていかないと、おんなじことの繰り返しになっちゃうんだと、おじさんは危ぐします。集団的自衛権なんてそうだね。
ヒロシマの前には真珠湾があり、さらにその前に日中戦争がある。万歳を叫び続けたツケを忘れて、全部が全部米国のせいだと言うのはキケンです。
いったん始まれば正義の在りかなんか、1円玉の価値もなくなるのが国同士の殺し合い。生前のバン・カーク氏の言葉を紹介して、今日はおしまいにします。みんなが戦争について考える助けになればいいな。1984年7月7日の同紙「忘れえぬキノコ雲 広島に原爆を落とした男たちの心理」から引用します。
「あのとき、地上で何が起きたのか分かりようがない。それが分かったのは、あとで地上での出来事を分析したのを見たり聞いたりしてからのことだ」
(自分の行動を正当化しているか、との問いに)「そりゃそうだ。戦争行為は、正当化しなければしようがないではないか」
「私はだれかとけんかする時には、勝つためにできることは何でもする。(原爆投下機は)何百機もあったのではなくて、1機しかなかったのだ」(引用おしまい)