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2014/07/24

原因企業はウソをつく

吉田拓郎の「たどり着いたらいつも雨降り」が心をえぐる世相です。
人の言葉が右の耳から左の耳へと通りすぎる
それ程頭の中はからっぽになっちまってる
今日は何故か穏やかで
知らん顔してる自分が見える(歌詞引用おしまい)
頭をからっぽにして、世の中に無関心でいれば穏やかでいられて、知らん顔してる自分が見える。楽勝な人生に思えて、でもその先は地獄。
何か社会問題が起きるとほとんどの場合、原因企業は嘘をつきます。ベネッセの個人情報流出問題も、最初の発表と規模がだいぶ変わってきていますね。福島における東京電力に至っては、何をか言わんや。
今日は1971年8月31日の朝日新聞「水俣訴訟原告側 “チッソが工作した” 元社長証言、根拠ない爆薬説主張」から公害原因企業の隠ぺい工作を紹介します。
30日東京・内神田の友愛病院会神田友愛クリニック二階の人間ドック室で行われた吉岡喜一・元チッソ社長に対する熊本地裁の水俣病裁判臨床尋問で、吉岡元社長は日本化学工業協会の大島竹治理事(当時)に依頼して、根拠のない爆薬原因説を打ち出して局面打開をはかったことを認めた、と原告側弁護団は語っている。(中略)チッソは熊本大研究班の有機水銀説に対し反論書を出す一方、爆薬説やアミン説を強く主張した。このため、厚生省衛生調査会水俣食中毒部会の答申した有機水銀説もうやむやになってしまい、同年(注・1959年)末、原因不明を理由に、患者側は少額の見舞金契約でケリをつけられている。原告側弁護団は、この吉岡証言で、チッソが大島理事と結んで根拠のない爆薬説を唱え、漁民や患者の攻勢をかわし、さらに県条例の制定も妨げた間の事情をつかむ手がかりを得たとし、31日にさらに尋問を続ける。原告側弁護団では吉岡元社長の証言から次のような事実が明らかになったといっている。(昭和)34年9月、当時の日本化学協会の大島竹治理事が吉岡社長と会い、現場に行って水俣病の原因を調べてみたいと持ちかけた。吉岡社長は漁民が騒ぐので何とかしてほしいと大島理事に依頼した。大島理事が調べ、水俣病の原因として爆薬説(旧特攻基地の爆薬が終戦時に水俣湾に投棄されたとする説だが、海面に投棄された事実はない)が打ち出せるといい、吉岡社長も現地に行き、爆薬説を発表した。しかし、同社長は調査も不十分であることを承知していた。だが、同社長は、水俣病をめぐる情勢が会社側にとってきわめて不利になっているので、有機水銀説に対抗し、これをうやむやにするものとして爆薬説を利用した。(引用おしまい)
水俣病を旧軍のせいにしようとしたのですね。現存しない組織や故人のせいにしたり名前を悪用したりするのは隠ぺいの常套手段。死人に口無しですからね
「アミン説」とは、腐敗した魚介の毒が水俣病の原因だとする学説。東工大の清浦雷作教授が提唱したデタラメで、清浦は恥ずべき御用学者として記憶される羽目になりました。
チッソ側は、ねつ造した原因説を乱発することで、補償額を抑えて企業の責任を極力免れようとしたわけです。
大島元理事のコメントが、またいい加減なので、同記事から引用しておきます。
吉岡喜一氏から当時、原因調査の依頼があった。現地で患者たちの症状見て思い当たったのが応召中に耳にした爆薬のヘキソーゲン中毒のうわさ話だった。戦前、埼玉県川越市に爆薬工場があり、ヘキソーゲンをつくっていたが、砂糖と間違ってヘキソーゲンを食べた女子工員が水俣病と同じような神経症状を示したという。水俣湾沿岸には爆薬の装てん工場があったので、ヘキソーゲンが病気の原因かもしれないから調査してみては、と吉岡氏に報告した。私は今も水俣病の原因は有機水銀とは思っていない。(引用おしまい)
この程度の与太話で患者の命を買いたたこうとはね。清浦と同様に大島の名前も記憶されるべきでしょうね。水俣市は、再稼働が決まった川内原発から30〜40キロ程度。原発行政に水俣市民の意向は斟酌されません。
やっとこれで俺らの旅も終わったのかと思ったら
いつものことではあるけれど
ああ、ここもやっぱりどしゃ降りさ(「たどり着いたらいつも雨降り」より)