1990年、イラクが隣国クウェートに軍を侵攻させました。湾岸戦争と呼ばれる国際的有事に発展します。日本政府は自衛隊を中東に出そうと、国連平和協力法案なる代物をこしらえますが廃案。135億米ドルを戦争資金として供出します。お金で集団安全保障に加担したわけです。
当時、作家の筒井康隆さんが日本人のメンタリティを批評している一文を見つけました。最近の集団的自衛権問題にそのまま当てはまるのでご紹介します。1991年1月1日の朝日新聞「コッカにカッコよさはいらない」を引用します。太字挿入はおじさんによります。人間はたいてい、金ができてしまうと名誉だの誇りだのに気をくばりはじめる。わはははははははは。20世紀において現政権の思考を端的に喝破した名文です。違いは、バブル景気真っ盛りだったカネ余りと、現在の借金大国という財政状況ですね。もうカネはないからヒトを出すということでしょうか。
日本は今までなりふりかまわず経済成長に力を入れてきた。大きな声では言えないが、戦後の世界で日本がいちばんうまいことをしている。それはかなりなりふりかまわぬ所業だった。日本人は誰でも内心そう思っていて、それが証拠にこそ、そんな馬鹿なことを正直に言う者があまりいないのだ。
気がかりは、金ができたからというので、特にそのような所業によって経済大国になってしまったからというので、今さらのように大国の名誉だの誇りだのを自国に付加しようとする風潮である。ほっとけばくっついてくるかもしれぬものをあせって手にいれようとする、おおむね成金が馬鹿にされる理由となる行為は、変に愛国心などに結びつくと危険である。どうもナショナリズムというのは同一言語、同一民族のせいで形成されるのではなく、産業資本主義や国民経済によって形成されるようだ。
世界史的転換期に国連平和協力法案というものが重なったため、心の落ちつきのないままに膨張発展してきた日本で「国際社会の一員としての自覚」だの「いつまでも今までのような態度をとり続けていることは許されない」だのという、見かけだけはカッコいいが、あまり意味のないことが叫ばれはじめているのも、国家としての威信を身につけようとしているあらわれなのだが、現在の日本の資質から考えてこれほど遠く離れた願望はない。
自衛隊の海外派兵問題は、日本のナショナリズムの質と量を測定するいいテストだったが、それ以前に、まだ国連からの要請もないうち、国連よりもアメリカにばかり目を向けていたため、早いうちから経済封鎖に同調して資金援助してしまったことこそ、なさけないふるまいだったと言える。イラクから見れば派兵も金を出すのも同じことである。(引用おしまい)
集団的自衛権とは、「見かけだけはカッコいいが、あまり意味のないこと」なんですね。この項、続きます。