コピー禁止

2014/07/18

死人・東郷平八郎に口無し

集団的自衛権を行使するために、砂川事件の最高裁判決が論拠として飛び出した時は驚きました。
しかし、本来はビックリするほどのことではないのかもしれません。為政者が歴史を悪用するのは常道。その好例を見つけたので紹介します。
太平洋戦争後期、戦略の欠如と艦船・航空機の喪失に加えて、敵の物量に押されっぱなしの日本海軍はメディアと結託、よりによって東郷平八郎の言葉を曲解させて、戦意高揚にあてます。
当時の軍艦内には艦内神社という、国内の神社から分祠された家庭の神棚に毛が生えた程度の神社があって、戦闘の邪魔でしかなかったのですが、精神力が最大の武器だった帝国海軍には必須のアイテムだったようです。
1944年5月22日の朝日新聞「艦内神社」(潜水艦内の神社写真付き)から引用します。
皇国の興廃を日本海海戦の一挙に決した連合艦隊が明治38年12月20日、その編成を解くに際し、東郷司令官は麾下全軍に「我等軍人は主として武力を形而上に求めざるべからず」と訓示した。
いま皇国の興廃決する決戦場の将兵が、身をもって貫く攻撃精神こそこの言葉の現す以外のものではない。物量の防砦を戦闘の前提とする敵米英の形而下的な有形的要素偏重主義、これに対してわが伝統的兵術思想の根底をなす精神力こそ、万邦比なき建国精神の培うところ。見敵必殺の凄気をはらみ、硝煙に泡立つ海を奮進する帝国艦艇鋼鉄の気魄。これに配するに精錬な術力、熾烈な精神力、卓越した指揮統帥をもってしてここに「必勝不動の信念」の凜乎(りんこ、注・勇ましいこと)たるものがある。
これら一切のもの渾然たる(こんぜんたる、注・欠点のないこと)艦艇。その中に日本的なものの象徴として艦内神社が挙げられる。(引用おしまい)
中身ゼロの美文調。大戦後期はこんなのばっか。読みづらいのを我慢して検証します。東郷の言葉は、セオドア・ルーズベルト米大統領(Theodore Roosevelt)が感銘を受けたといわれる東郷の「連合艦隊解散の辞」にあります。全文を読めばわかりますが、東郷が言いたかったのは、いくら武器があっても使うのは人間なのだから日々訓練を怠るな、ということ。
記事は一部だけを拾って、敵は物量(形而下)に頼るのみだが、帝国には精神力(形而上)がある、そのシンボルが艦内神社であると言っているわけです。東郷がもっとも嫌った「神頼み」ですね。「解散の辞」を一読すればアホでも理解できます。
東郷が健在ならば烈火のごとく怒り狂ったでしょう。しかし、いくら顔に泥を塗ったところで、死人は文句を言えません。こうして帝国海軍は戦争を継続、東郷元帥の名において、より多くの若者を死地に追いやったのです。
砂川事件判決は今から55年前。当時の最高裁裁判官が異議を唱える心配はまずありませんね。死人に口無し。