役名もセリフもない時代劇の斬られ役に生涯を捧げてきた俳優福本清三さんが、なんと主役を務める劇映画「太秦ライムライト」が劇場公開されました。おじさんが住んでる地域でもやってくれないかな。
今日は、1980年代半ば、時代劇が斜陽に向かう中、斬られ斬られて死にゆく日々を過ごした東映の悪役役者たちの人生を紹介します。40代前半だった福本さんも顔を出します。1985年5月24日の朝日新聞「切られ役の人生行進曲」(遠山彰編集委員)から引用します。
1日に何十回と殴られ、切られ、殺される。もうヘトヘトだ。大部屋俳優たちは、最後に落とされた穴の中で、死んだように動かない。そんなとき、再び穴をよじ登り、目をカッと見開いて「助けてくれぇー!」と叫んだのが汐路章さんである。
「台本にはないけど、認められるためには目立たなきゃならん。なんとか、この境遇からはいあがってやろうと……」。昭和30年代、東映京都撮影所では「階段落ちの汐路」で通った。あの「蒲田行進曲」の“やっさん”のモデルといわれる。
「13段の1段1段が高く、一番下は硬いセメント。こわかった。死ぬんじゃないかと。だが、長男が生まれたばかりで食うや食わず、カネが欲しかった。思わず『カアちゃん、さよなら』と手をあわせました」
特別手当は1万円でた。月に100時間の超過勤務をこなし、寝る間も惜しんだ稼ぎより多かった。「毛布と柱時計を買って帰りました。当時、貴重品の毛布はもちろん、時計1つ無かったのです」。柱時計は30年近くたったいまも動いている。(引用おしまい)
汐路章。ものすごい悪相とダミ声が印象的でした。ヤクザの親分なんかやらせると最高。確かに主役に斬られても柱や障子に寄りかかってみせて、一撃では殺されない往生際の悪さが記憶に残ってるなあ。凶相から飛び出すユーモラスなセリフ回しが素敵な人でした。続きを引用します。
「切ってもらえる人はまだいい。私なんか死体専門。先輩が切られると、代わりに倒れてる。先輩は服を替えてまた切られる。私はあっちに倒れ、こっちに倒れ……。まともに切ってもらえるようになるのに10年かかった」というのは剣会の福本清三会長(43)。切られ役とタテ師でつくっている会で、ひところは100人が道場で腕をみがいた。斜陽のいま、俳優は16人しか残っていない。
「体は傷だらけ。でも、どんなに痛くても平気な顔をしてる。入院騒ぎを起こせば“あいつはけがに弱い”と使ってもらえなくなります。私ら、スターさんとは違うんです」。他人のことは必ず「さん」付けで呼ぶ。固定給月7万5000円、日当1本6000円。1年契約だ。古株でも年間400万円がやっと。子供2人、ローンを払うため、同居の母も妻も働きに出る。(引用おしまい)
福本さん登場。当時は斬られ役の中堅どころですね。このころはまだ古株じゃないから、大けがするような危険な仕事して年収400万円に届きません。決してもうからないのに、上手に斬られるための研究会まで主宰するプロ根性に頭が下がります。許すお母さんと奥さんもえらいね。続きを引用します。
悪役の大物に遠藤太津朗さん(57)がいる。「必ず最後には切られるが、それまでは行動力があり、自信に満ちあふれている。内気な私と正反対の役なので楽しかった。しかし、もう終わりですな。いまの世の中、本当のワルがごろごろしている。私どもが演じるワルなんて……」(引用おしまい)
遠藤太津朗は、おじさんの世代ならテレビドラマ「銭形平次」の岡っ引き万七の印象が強い。他にも悪代官(主に川合伸旺)にワイロを贈って悪事を働く商人「越後屋」役なんかが強烈でした。
芸能人とは本来、自分の芸能を売る人です。この記事に出てくる福本さんをはじめとして、代えの利かない人ばかりでした。みんなはテレビに出ている人が芸能人だと思わないでね。
この項、続きます。