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2014/06/18

イシハラの子はイシハラ

石原伸晃環境大臣が、除染土の中間貯蔵施設予定地選定問題で、福島の人たちを傷つける暴言を吐いて、原発事故に苦しむ県民の皆さんをいじめています。
以前には第一原発を「サティアン」と呼んだこともありました。サティアンとは昔、東京の地下鉄などに毒ガスをまいて、無差別殺人を実行した宗教団体の施設の名前。決していい意味では使わないんだ。
原発事故被災者の救済は環境大臣の大事な仕事の一つだから、普通なら福島の人たちの気持ちを考えれば、役立たずは交代させるんだけど、大臣を替えると内閣のダメージになるから、たぶん安倍さんはそのまま続けさせるよ。
今日は、なぜ石原大臣がこんな暴言ばっかり言う困ったちゃんになってしまったのかを、歴史を振り返りながら考えてみたいと思います。大臣のお父さんは、国会議員から東京都知事になった人です。石原慎太郎といいます。
知事になって外国人差別、女性差別、高齢者差別、障がい者差別と、思いつく限りの差別的発言を繰り返してきました。
今回は慎太郎お父さんが自民党国会議員として、省庁のトップだったころの発言をピックアップしてみます。まずは環境庁長官として、水俣病という公害病の視察に熊本県に行った1977年4月24日のことです。石原長官の宿泊するホテルに、胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんらが押しかけてちょっとした騒ぎになりました。翌25日の朝日新聞から引用します。

(前略)坂本さんらが問題にしたのは、22日夕、水俣市の患者施設「明水園」で、坂本さんが石原長官に渡した抗議文について、その夜の記者会見で石原長官が「物事を疑うわけではないが(しかし)ごく素朴にみてこれを書いたのはIQの低い人たちでしょう。(それにしては)非常にしっかりとした文章というか、あるタイプの文章だ……」と話した点。(引用おしまい)

思わず目をそむけたくなるような公害病患者差別発言ですが、事実です。次は1977年10月4日の朝日新聞から引用します。

環境庁の記者クラブは、3日、石原環境庁長官に対し、8月発行の月刊誌「現代」9月号の紙上でのインタビュー発言中、同記者クラブに対し、いわれのない中傷をしたとして、4日午前中までに謝罪を求める抗議文を手渡した。
(中略)抗議文で、特に問題としているのは「環境庁にいてもね。ここの記者クラブの記者とのたたかいは壮絶なものですよ。自分とこの新聞で没になった原稿が、共産党の赤旗に載る記者なんかが何人かいる」と発言した部分。
記者クラブでは(中略)3回にわたり石原長官に対し「この発言は当記者クラブ所属の報道姿勢に対する重大な中傷である。発言の根拠となった事実を明示してほしい」と文書で要求していた。
しかし、長官はこの点についての具体的事実を示さず、9月30日の記者会見で「自分の信頼する人から聞いたもので、具体的事例を自分の目で確かめてはいない。しかし、信頼できる人の話なので事実だと思う」との趣旨の発言をして自らは伝聞の事実関係を確かめなかったことを認めた。(引用おしまい)

「赤旗」は日本共産党の機関紙です。露骨な共産党に対する思想差別とマスコミへの職業差別意識には、分析心理学的興味すらおぼえてしまいます。決して謝らないのも、石原家の家訓のようです。
最後に1988年1月22日の朝日新聞から引きます。石原お父さんは、運輸大臣になっています。今で言うと国土交通大臣だね。以下に引用します。

「ブタ小屋とトリ小屋の間を走っているような状況では、日本のリニアの技術を世界に印象付けられない」--欧州でのリニアモーターカーの開発状況を視察して帰った石原慎太郎運輸相が、21日の記者会見で、こんな発言をした。発言は、宮崎県日向市内にあるJR鉄道総合技術研究所のリニアモーターの実験線(約7キロ)を指しての表現。リニアモーターカーに熱い期待を寄せる関係者の間に波紋を投げかけた。(後略、引用おしまい)

今度は地方差別。果たしてまだやり残した差別はあるのかな?石原伸晃大臣があんな人に育った理由がよくわかります。
息子さんの方は、ニューヨークの9・11テロのことを「キリスト教支配に対するイスラム圏の反逆で、歴史的必然」などと、およそ政治家だとは思えない発言もしています。
おじさんには理解できません。理解できるのは唯一、父親がああだから息子もこうなったとの歴史的必然のみです。