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2014/05/16

知る権利と知らなきゃならない義務

戦争ができる国とできない国の違いは、どこにあるのでしょう?
国民みんなが戦争は嫌だとはっきり言える国はできないし、言わなかったり言えなかったりする国は戦争しちゃうんだと、おじさんは思います。
安倍総理大臣が日本を「集団的自衛権」というものが使える国にするんだと言っています。集団的自衛権とは何でしょう。
国をみんなの家だとします。うちに泥棒が入ってきたら撃退してもいいです。家族の生命や財産を守るためです。これを「個別的自衛権」と呼びます。
ところが今回、安倍さんが言い出した「集団的自衛権」は、ケンカ好きな友達の番長から「よその町の不良を退治に行くからお前もケンカに加われ」と言われたら、武器を持って知らない相手と殺し合いをしなければいけないというお話です。
家は借金まみれ(日本の政府は1200兆円以上のお金を借りています)で兵器を買ったり使ったりする家計の余裕はありません。生まれてくるこどもも減ってお年寄りばかりになってきているので、若い人たちが死んでいくゆとりもないです。
おじさんは、この発表が嫌で嫌で仕方がないので、日本が戦争のできない国のままでいられる方法がないものか、調べてみました。1956年4月23日の朝日新聞「天声人語」から、第二次世界大戦の元A級戦犯・鈴木貞一元陸軍中将の言葉を引用します。A級戦犯というのは、日本を戦争に導いた指導者たちです。文化放送のインタビューから引いています。
「国民が本当に戦争を欲しないことが政治に反映していればイクサはできなかったはずだ。世論がハッキリしていなかった。軍人を責めるのは無理で、国民の政治的責任だ。治安維持法も(国家)総動員法も議会が造ったもので、国民はそれを承服して服して、自分で自分を縛ったのだ」(引用おしまい)
治安維持法も国家総動員法も、戦前に国民の言う権利、知る権利を奪って戦争に突き進ませた法律です。コラムでは「国民の世論に従って戦争をしたかに言い、戦争の責任を国民におしつけるような言草」だと怒っています。でも、大勢の人々を殺すことになった鈴木貞一の罪は別にして、言っていることを考えてみる値打ちはあると、おじさんは思います。だまされる人にはだまされた責任があるのだ、不勉強のままでいたら利用されるだけで最初に捨てられる人間にされちゃうってこと。
政治家がしたいままにする法案の成立や姿勢を、チェックしていける大人になる練習をしてほしいです。自由に言いたいことが言えなくなったり、君たちが戦争に行かされたりする前に、興味を持って自信を持って、自分とみんなを守る発言ができる人になってほしいです。