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2015/08/15

戦後70年の安倍談話を検証する(2)

前項で、安倍晋三首相の戦後70年談話なる代物が、いかにひどいのかを検証しました。安倍さんにマトモな外交を期待することはできません。それでは今後、近隣諸国と上手に付き合っていくためにはどうすればいいのかを、そこは歴史ブログっぽく、過去の事例から考えてみます。
1979年3月、欧州共同体(EC)の対日秘密文書が流出する事件がありました。日本人を「ウサギ小屋のような狭い家に住む働き気違い(注・当時の新聞記事表記に従う)」と分析した差別的な内容。当時はヨーロッパ経済が停滞気味で、日本製品の輸出攻勢に正気を失って八つ当たりしたわけです。
この文言に対し、我が国ではちょっとした議論が巻き起こります。「やっかみだ。欧州人はけしからん」「いや、一理ある。住宅政策を考え直す必要があるし、事実我々は働き過ぎではないのか」といった具合。
そこへ敢然と日本擁護と賞賛の論陣を張った国がありました。中華人民共和国です。「人民日報」が日本人の優秀性を絶賛、中国国民には「日本人に学べ」と檄しました。同紙は中国共産党の機関紙ですから、これは「国論」です。侵略戦争の恩讐を越えて、日本人を讃えた中国人民の態度にビックリです。安倍さんの談話では、「恩讐を越えた国」に、中国は入っていなかったようですけどね。
同年9月3日付の朝日新聞夕刊「他山の“ウサギ小屋”」から引用します。
【北京2日=共同】欧州共同体(EC)の“日本ウサギ小屋論”に対する日本世論の反応ぶりは実に立派だったーーという主旨の評論が2日の人民日報に掲載された。
「西欧人の一語日本を激発させる」と題した「陳泊微」署名の評論は、EC報告書のなかの「ウサギ小屋のような住宅に住む仕事の虫」という表現について「これは半ば驚き、半ば冷やかしの言葉にすぎず、対日貿易で大幅赤字という負担を背負ったヨーロッパ人の心情と見方を相当切実に反映したものだ」とのっけからかなり日本に同情的。
筆者はまた、国土が狭く、資源が乏しい島国日本が世界有数の工業化された強国になった秘密を挙げて「これこそおそらく、日本人がヨーロッパ人をして恐れさせるあの一心不乱の仕事精神と不可分のものであろう」と絶賛した。
評論は“ウサギ小屋論”に対し、日本の世論は「熱心に検討し、冷静に“反省”した」と指摘し、多くの新聞が日本と欧州諸国の所得水準や、労働者の休暇、住宅条件などを比較分析して、“ウサギ小屋論”のなかにも一点の道理がないわけでもないという結論を引き出したことを評価した。
また人民日報読者に対し「見よ、欧州からのすこぶる不愉快な評価に対し、日本世論は激発され、かくもまじめに反応したではないか」と注意を喚起するとともに、「これは大幅な貿易黒字をもつ日本が西ヨーロッパの“怨み”に対して敏感であると同時に、自己を解剖する勇気を持っていることを示すものではないだろうか」と、自国民への説教も忘れない。
筆者は最後に「世界に完全無欠な民族など存在しない」と述べる一方「重要なことは、常に自らを鏡に照らし、常に外部世界の己に対する評価と批判に耳を傾けることである」と指摘して、中国が日本から学ぶところは、“ウサギ小屋論”に対する日本の反応の仕方にこそあると示唆している。(引用おしまい)
ネット情報ですが、筆者の陳泊微氏はどうやら日本駐在特派員だったようです。中国はなぜ、自国に関係のない文化論争で日本の肩を持ったのでしょう。このころの日中関係が良好だったからに違いありません。
当時の日本の首相は大平正芳でした。大平は1972年、田中角栄内閣の外務大臣として国交回復のため訪中、日中共同声明作成に全身全霊で臨んだ「漢」です。戦前には大蔵官僚として満州に赴き、現地の帝国支配を目のあたりにしていたため、中国に同情的でもありました。そのため共産党幹部の信用も厚い人でした。そんな背景下、中国が日本の後方支援を買って出たのだと想像します。国同士がののしり合い、国民も引きずられての差別発言や反日暴動といった昨今のケンカバーゲンセールを、大平や彼に信頼を置いていた周恩来は、泉下でさぞ苦々しく見ていることでしょう。
諸国友好の行動は、百万言の空疎な談話に勝る。意見の合わない相手を攻撃して叩き落とすことに血道を上げている現在の政治状況にこそ、大平のような調整型の政治家の登場が望まれます。その土壌が少しでも残っていてもらいたいものですが。
戦後70年の終戦記念日、集団的自衛権などという武力に頼らずに済む、安上がりな平和構築法を夢想してみました。