“神秘性”への自己満足
ドナルド・キーンの長年の悩みは、日本人から日本文学の「研究者」ではなく「紹介者」として扱われ続けたことでした(1975年1月13日付朝日新聞「天声人語」)。キーンの死去を受けて各メディアが扱った人物伝は、そんな日本人キーンの心情を正しく映したものであったのか? 毎日新聞は「茶色い目の日本人」の見出しとともに、キーンの一生を振り返りました。昭和のころは白人が日本に来ると、新聞雑誌テレビラジオが、だれかれ構わず「青い目」と称していたものです。このステロタイプから抜け出せなかった毎日新聞は、大震災をきっかけに日本人になったドナルド・キーンを、結局はガイジンとしか見られなかったようです。「日本人より日本人らしい」と形容した新聞も複数ありました。「日本人より~」は、茶道をたしなんだり三味線を弾いたりする、主に白人に対して周囲が使う常套句です。外見の違いにこだわって、外国出身者であれば同じ文化を共有する同じ人間だとは考えられない。私たち日本人の偏狭な性根は、ドナルド・キーンの棺にも容赦なく襲いかかったんですね。
ガイジンとしての視線を浴び続けてきたキーン自身はもちろん、けったいなジャパニーズ・トラディションに気づいていて、すでに1970年代、日本人への警句を送っています。フランスの哲学者ロラン・バルトの日本文化論「表徴の帝国」に関する論考を述べた、1974年12月14日付の朝日新聞夕刊「幻想の国への紹介」から引用します。
(前略)桃山時代から外国人が日本人論を書いてきたが、未だ日本のことに無限の好奇心を抱いている著者や読者がいるらしく、神秘的な日本人というイメージはなかなか消えない。神秘的だと言われている日本人自身は、怒るどころか、それに同調して、自分たちの神秘さを誇りにする。だが、外国人の新鮮な日本人論に感心しても、「やはり外人には理解してもらえない」という神秘的な結論に達することが多いようである。(引用おしまい)特別な神秘性のプライドを錦の御旗に、“劣等民族”ディスを全開。大相撲の土俵に向かってモンゴル人の悪口を叫び、軍事知識なんかゼロのくせに韓国の軍艦けしからぬと根拠薄弱に怒り、中国人観光客はマナーが悪いとののしる日本人。日本の自然素晴らしい、日本食おいしい、日本家屋美しい、外国に住む日本人エラい、寿司は人類が生んだ最大の食文化であり、納豆もエラけりゃ豆腐もスゴイ、と吹聴するTV番組。踊らされる若者、イキる年寄り。過剰な自己礼賛と他人種・民族へのさげすみがセットになって社会を席巻する歪んだ放送・出版ビジネスとなった「日本スゴイ」こそ、ドナルド・キーンが心配した根拠のない選民思想の肥大化そのものでしょう。
ドナルド・トランプと同根のスゴイ
ファーストネームこそキーンと同じですが、彼とは正反対の教養なき人物がアメリカ合衆国の大統領を務めていますね。テレビに映るドナルド・トランプ演説会場演壇の後ろの客席を観察すると、ある傾向に気づきます。真っ白。いつも100%とは言わないけれど、白人の比率が異常に高い。現代アメリカの政治家は多様な層からの支持を計算して、カメラに映るエリアには人種をミックスさせて配置するものですが、トランプ大統領の場合は真っ白けにした方が支持者がカンドーするんでしょうね。「USA、USA! アメリカスゴイ!!」というわけです。
かつて白人が黒人を差別するのに優生学の疑似理論でホワイティの優秀性をアピールしたように、日本スゴイにも遺伝子ヨタが多数登場します。「神の遺伝子」「宇宙人の遺伝子」等々、ネットに垂れ流される醜悪なオカルト。日本スゴイテレビ番組も「世界に誇る50人の日本人 成功の遺伝史」(日本テレビ系)という身も蓋もないタイトルはじめ巷にあふれかえるスゴイプログラムの数々が、神国臣民の先天的優秀性をアオリますね。
今日は、私たちが一部ネットで喧伝されている通り、常に勤勉で親切、礼儀正しく生きてきたのか、遺伝子が形成されたであろう神代の昔に比べれば、まだまだ卑近な事例から考えてみます。
アベベを襲った「日本ヒドイ」
1961年、東京オリンピックの開催を控え国民のスポーツ熱が日々高まる中、毎日新聞社は、主催のびわ湖毎日マラソンに、ローマ五輪の金メダリスト・アベベ・ビキラ(エチオピア)を招へいします。ローマ大会ではシューズが壊れたため素足で走り優勝、裸足の英雄と呼ばれた世界中の人気者でした。NHKの大河ドラマ「いだてん」のオープニングタイトルでも毎週、本人の映像が流れます。国際的スターを迎えた日本人の遺伝子は、果たして持ち前の礼儀正しさや親切心を発揮したのでしょうか? 同年6月26日付の毎日新聞「アベベの記録更新 カミナリ族がはばむ」より引用します。
(前略)この日は雨あがりで相当むし暑かったが、それほどアベベにとって悪コンディションではなかった。事実、午後3時スタートしたアベベの健脚はきわめて快調、5キロ地点の堺市竜神付近ではワミ以下の後続選手を大きく引き離した。当時の日本の工業力と環境意識によるのですが、自動二輪車のエンジンは構造が簡単な2ストローク式が多数でした。ガソリンとオイルを混ぜて爆発させ、未燃焼ガス・大気汚染物質を白煙とともに大量に排出するので、今では排ガス規制に耐えられず、レース用などほんの一部を除いて生産をやめています。アベベ見たさに集まったのは、カミナリ族と呼ばれた2スト珍走団。警察が止められなかったのは、礼儀正しい遺伝子の市民ポリスだったせいでしょうか。当時のメーカーには珍走相手に商売しようと、レース出場も簡単と称して消音器がすぐに外せるような構造を売り文句にしている親切なDNAを持つ企業もありました。
大阪府警のパトカーや白バイによる先導もうまく、観衆整理もスムーズに進んだから走りやすかった。沿道の観衆はエチオピア国旗の小旗をふるもの「バルダー(がんばれ)アベベ」と叫ぶもの、国際レースにふさわしい光景も各所に見られた。
ところが住之江の折り返し点を過ぎるころから、オートバイが目立ち始めた。ほとんどが2人乗り。パトカーの制止もきかず、アベベの前になり後になって離れない。騒音と排気ガスがアベベの身体を包み、先導車からさえ姿が見えないほど。
浜寺公園のスタート前を通過するころ、ややアベベのペースが落ちた。車が邪魔になって走りにくいのだ。小さな子供までが自転車で伴走しようとして警官に止められた。前に飛び込んだオートバイのためアベベのペースが乱れ、怒りの表情を見せたこともあった。
高石町から泉大津への入口(ママ)まではどうにかオートバイを中央線近くに押し返すパトカーの作戦が成功して、かなり楽に走った。だがそれも束の間、泉大津市内で再びオートバイがまつわり始めた。歩道から観衆がはみ出して車道を必要以上に狭くしたのも原因だった。
(中略)岸和田市内もはじめは整理がゆきとどいていた。ところがトップのアベベが岸和田城前を折返し(ママ)、ワミ以下の選手と市内の繁華街ですれ違ったときはすごい混乱になった。役員の車や審判車など大会関係者の車にまじって十数台のオートバイが道路を埋めたため交通マヒが起こったのだ。車はあちこちで立ち往生し、アベベは顔をしかめながらこの間をぬって走った。さらに大型バスにさえぎられて5秒ほど足ぶみもした。観衆と肩をぶっつけ合うばかりの混雑になった。
これからあとはまったくひどかった。何百台という単車の帯が26号線いっぱいにふさいだ。クラクション、爆発音のものすごい狂騒曲。アベベのペースはがっくり落ちた。両手を伸ばしたり曲げたり、疲れきったといった表情。パトカーの警官も沿道の警官も声をからして制止したが“ハエ”のようなオートバイは最後までアベベを離れずゴールまでつづいた。
それでもアベベは走った。そして勝った。しかし、これはアベベの体力と勝負を捨てない意志の勝利だった。日本の選手はこのオートバイの排気ガスと騒音に耐えられず29人も落後してしまったのである。(引用おしまい)
記事によると、優秀な遺伝子を受け継いでいるはずの一般観衆も沿道からはみ出してアベベの邪魔をしています。このレースで、アベベは途中から靴を脱いでローマでの走りを再現するサービスを考えていたそうですが、それも日本人による2スト地獄の白煙まみれのスゴイ歓迎でパーになりました。この事件は、主催の毎日のみならず、読売・朝日ともに社会面のトップで日本人の公共心欠如を批判。スゴイ国辱の一件と成り果てました。
今月10日に開かれたびわ湖マラソンは、大過なく無事に終わりました。74回を数える日本を代表するスポーツ大会に成長したびわ湖マラソンを支えているのは、純粋なスポーツを楽しもうとする世界のファンと選手たちの対応です。スゴイ遺伝子なんてオカルトのせいじゃありませんよ。
ドナルド・キーンの訃報に接して、「茶色い目の日本人」なんて日本人の特殊性を主張してしまった毎日新聞などのメディアもが、心ならずも日本スゴイを増長する精神土壌に立っているのを知らされたのは、はなはだ残念でした。キーンは「日本スゴイ」の無意味さを、ずっと前から伝えていたのにね。