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2017/10/19

トランプ大統領から考える日本人の被差別不感症

日本人は「チビ野郎」から除外されるのか

ドナルド・トランプ米大統領(Donald Trump)と北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長との間でののしり合いが止まりません。「外交」などと呼べたもんじゃありません。若いみんなも見聞きしててみっともないと思うよね。
このところ、トランプ氏が金氏に対して好んで使う呼称に、“Little Rocket Man”があります。テレビでは「小さなロケットマン」と訳されることが多いんだけれど、この場合の“Little”は蔑称ですから「チビの」と表現する方が適切でしょう。「チビ野郎のロケットオタク」。安酒場でのおっさんのケンカより程度が低いわ。
私たち東アジア人の感覚からすれば、金氏はそう極端に身長が低いようには見えません。そりゃ一般に背の高いドイツ系移民3代目のトランプ氏よりは低いけどね。何より、背が高くないことは責められるべき、人としての欠点なのでしょうか? かの国の核開発や国内の人権軽視は非難されてしかるべきですが、体格の違いを国際交渉の場で露骨に表すトランプ氏の精神構造は、白人至上主義を擁護、人権派の民衆を“Alt-left”と過激派呼ばわりする彼の選民主義と同根にあるのではないでしょうか。
この「チビ」は、果たして金委員長に対してのみ向けられた言葉のヤリなのでしょうか? 私たち日本人を含むすべてのアジア人への侮蔑ではないのか。私たちは、そこに無関心でいいのか、というのが今日、考える問題です。

差別感情を自覚しよう

トランプ大統領が白人至上主義者を擁護した際、ファッションセンス以外、特に見るべきものが無い英国のテリーザ・メイ(Theresa May)首相でも、彼の発言と背景にある思想を非難しました。さすがは、国内にいまだ階級社会が存在し、インドではカースト制度を研究して国民同士の憎悪をあおりまくった植民地統治手法を成し遂げ、さらに昔には数多くのアイルランド人を奴隷として売り飛ばした伝統と歴史を持つ国のトップ。差別には敏感です。
一方で我らが安倍晋三首相はというと、何にも反応しないのな。興味がないんだろうね。
しかし、だからといって安倍さんをバカだ、鈍感だと言う資格が果たして今の私たちにあるのか。安倍さんの鈍い感性を指弾し、嗤うことができるのか。残念ながら、安倍さんの鈍感さのレベルは、日本人の平均値なのかもしれません。
米国の人種差別と聞いて私たちが連想するのは、白人たちによる黒人やヒスパニックへの仕打ちだと思いがちですよね。ためしにアメリカを歩いてみましょう。パックツアーの団体旅行じゃなくて、独りか少人数で。観光化された名所ではなく、あんまり治安が良くない所は避けて街中を。時と場所によっては、黒人やラテン系の市民から嫌がらせを受けたり、し烈な言葉を浴びせられたりすることがあると思います。ヒスパニックの国メキシコに行けば、かなりの確率で東洋人への蔑称スラングである「Chino!」と指さされる経験を甘受できるでしょう。
米司法省・教育省によると、黒人やラテン系住民よりさらなる少数者であるアジア系のこどもたちがいじめに遭う確率は抜きん出ているとのデータもあるそうですが、日本に住んでりゃ気にもしませんよね。
トランプ大統領就任早々に特定の国々にかかわりのある人たちの入国を禁止する大統領令を出した時、ワイドショーが大騒ぎしました。そこには、日本人を含めた人種・宗教差別に対する感情や理性の違和感はなく、キャラの立ったおっさんが大統領になった、おもしろいぞ程度の低俗な興味と関心しか感じ取れませんでした。
低俗が許容されると、メディアはさらなる低俗路線に走り、彼ら自身の感覚もアホになります。北朝鮮とどっこいの人権侵害国家であるサウジアラビアの王様が来日するとなれば、話題は銀座や新宿でオイルマネーをいくら落としてくれるかに集中。かの国でいまだ公開処刑が行われ、女性には車を運転する権利すら無いことなど知らせるつもりなどさらさら無いし、番組を作る側でも知らない連中がルーティーンワークでやっていると思えるフシさえあります。
昨年末、ベルリンのマーケットにトラックが突っ込んだ時には、ドイツ政府ですらテロだか交通事故だか判別できていない段階なのに、NHK正午のニュースでは現地の国際部記者が「移民や難民による事件が相次ぐヨーロッパ」と偏見を助長するリポートを茶の間に流し、シリア・アレッポの猛爆撃を伝えた「ニュースチェック11」は、番組の最後に、「彼らはクリスマスシーズンだと知ってるんだろうか?」「今がクリスマスなんだと再び彼らに知らしめよう」と連呼する「Do they know it’s Christmas?」というキリスト教的価値観丸出しの歌を流す始末。報道番組に携わる者であれば、アメリカのブッシュ大統領が「十字軍」を名乗って始めたイラク戦争が現在のシリア・イラクのカオスを生み出したことぐらい知ってるだろうに。ムスリムの人が番組見たら、無知なNHKから自分たちが侮辱されたって言って泣くよ。アレッポの報道台無しでした。
公共放送の名誉のために付け加えると、最近話題のミャンマーのロヒンギャ迫害問題については、日本の大手メディアではかなり早い時期から伝えていました。放送局に人権感覚が皆無なわけじゃない。ただし、衛星放送止まりね。地上波ではやらない。この地上波の壁こそ、自らが差別される可能性や事実に目を向けない日本人の被差別不感症が築き上げているのではないかと思うのです。

日系人ヒーローに投げかけられた「チビ」

“チビのアジア人”は、トランプが言い始めたわけではありません。1973年、田中角栄首相が訪米した最中にも、アメリカ議会で波紋を投げかけました。ハワイ選出の日系2世上院議員ダニエル・イノウエが白人弁護士から「チビ野郎のジャップ(Little Jap)」とののしられて、問題化しました。
同年8月3日付の毎日新聞「波紋呼ぶ“ジャップ”発言 米上院公聴会」(近藤特派員)から引用します。
(前略)日本人および日系米人の蔑(べっ)称である「ジャップ」という言葉が1日ウォーターゲート事件の上院特別委公聴会に登場し、日系米人はもとよりその他一般米国人の間に怒りと驚きが渦巻いている。これを口にしたのは、同日証言を終えたハルドマン前大統領首席補佐官の弁護士ジョン・ウィルソン氏(71)で、同委のメンバーの1人、ダニエル・井上議員(ハワイ州選出・民主党)のハルドマン氏に対する質問のやり方を批判して「この小さなジャップは困ったやつ」と発言した。米国ではポーラック(ポーランド系)ニガー(黒人)といった蔑称を政治家や責任ある人物が公開の場で使うことはタブーであるが、ウィルソン弁護士は「彼(井上議員)をジャップと呼ぶのは、われわれをアメリカンというのと同じだ」とうそぶいている。
問題の発言は、62年のカリフォルニア州知事選にニクソン大統領が立候補、ハルドマン氏がその選挙参謀だったときの選挙運動に不正行為の疑いがあった点を厳しく質問した井上議員の質問ぶりについて、公聴会の昼休み、米人記者が論評を求めた際、ウィルソン弁護士が答えていったもの。
公聴会終了後「ジャップ発言」に注目した米テレビ記者から「そういったことばは人を卑しめることばではないか」と聞かれて、ウィルソン弁護士は声をはり上げ「私の依頼人を“ウソつき”といった人間だ。ジャップでなにが悪い」と開き直った。“ウソつき発言”は7月25日の公聴会で、井上議員が質問のあとテレビ用のマイクロホンが切れていたと勘違いして「このウソつきめ……」とひとりごとをいったのが、会場には聞こえなかったが、全国中継テレビに伝わってしまった事件。
井上議員は公聴会終了後のテレビ・インタビューで「不幸なことだが、ジャップ発言には憎しみがこもっている。米国人はまだ互いを兄弟と呼び合うまでに成長していない。いつかその日が来るだろう」と語った。
一方、米CBS放送は、日本大使館の論評を求めたところ、大使館から「ジャップということばは、昔はいいことばではなかったが、いまはすたれたことばだ」と無関心な答えがかえってきたと報じた。だが、一時は敵性視され、目に見えない差別の苦労をなめてきた日系米人には「すたれた」と割り切ってしまえることばどころか、責任ある米国人がいまだに日系人に対する根深い偏見を抱いていることの証明とみられている。
井上議員は大戦中、二世兵として右腕まで失った人。それだけにニューヨーク市の日系二世、三世を中心とした団体「行動するアジア系米人」は、日本大使館の反応に「冷淡だ」と怒り、訪米中の田中首相の感想をぜひ聞きたいと主張している。同団体は1日夜、緊急会議を開き、井上議員と連絡してこういう発言が二度と起こらないように効果的な抗議を行うことにした。また日系人の最大の団体である日系市民連盟(JACL)も抗議の用意をしている。(引用おしまい)
この記事で注目すべきは、在米日本大使館の無関心な対応です。こうした言動を放置すれば、邦人にとってマイナスにしかならないとの想像力が働いていません。
ダニエル・イノウエは欧州でドイツ軍と戦い片腕を失ったアメリカの英雄でしたが、それほどの人物でも「チビのジャップ」と攻撃されるのです。ましてや私たちのような無名の一般人が偏見にさらされているであろうことを、差別される側の痛みを知ろうともしなければ、問題意識は先に進みませんよ。「ハローも言えない英語音痴」だと、トランプに愛妻を侮辱されて何も反応しない安倍さんと同じではありませんか。

カズオ・イシグロへの視線

英国の作家カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞しました。長崎出身の日系人だということで、日本の誇りだの、日本の精神文化は素晴らしいだのと吹聴して思考を止めてしまうテレビ報道や街頭インタビューを見るにつけ、1973年の大使館員のレベルから進歩していないように感じられます。30年近く前、ペルーのアルベルト・フジモリ大統領が日系だというだけで熱狂し、多額の援助を与えた挙句、彼を人権蹂躙の独裁者にする手助けをしたのは日本人でした。イシグロ氏への感情の発露が当時と酷似していることに嫌悪感を覚えます。
むしろ、絶対的マイノリティとしてイングランドで育ち、キリスト教徒の名前であるジョンやグレアム、マイケル、テリーといった多数派へ改名することもなく生きてきたカズオという人物の人生体験、差別された可能性などに思いをはせてみる方が、彼の文学や受賞の価値を理解するための本道ではないでしょうか。私たちは差別される、どんな人種・民族だって偏見にさらされる事実を忘れたくないものです。