コピー禁止

2016/04/01

朝ドラ「あさが来た」後に求める初心

このところのNHK朝の連続テレビ小説の手抜きは目に余ります。「あさが来た」の主人公夫婦が、庭先の梅の木に最初のつぼみを見つけるくだりがありました。梅がつぼみをつけ始める時期ですから、1月の末からいいとこ2月上旬の寒い時期のはずです。ところが、妻はもちろん重病人の夫までが軽装で外気に触れる姿にびっくりぽん。配偶者に多額の淀川生命の保険金をかけて、早く死んでもらおうとの魂胆だったのでしょうか。
ふた昔ほど前までのテレビドラマでは、農民が早春の麦踏みをするロケシーンを入れたら、スタジオのキャストもシーズンに合わせて白い息を吐いていたものです。朝ドラ、大河、その他もろもろのドラマ制作の現場には、季節感の統一に努める意識が失せているように見えます。
「あさ」では、より気になったのが日本語の崩壊。とにかくひどかった「まれ」に負けず劣らず、聞くに堪えない言葉遣いが耳に障ります。
主人公がビジネスからのリタイアを告白する今週のシークエンスを例にとってみます。「うち、ええ奥さんあらしまへなんだやろ」とヒロインが言いました。日本語の文法では、助動詞「なんだ」は動詞の未然形に付くと決まっています。動詞「あり」の未然形は「あら」。従って「あらなんだ」となるのが正解です。
その後に続く「どうか(夫の)おそばにいさしとくれやす」。大阪の真ん中で、いきなり京都弁が飛び出しました。しかも、この流れでの「いさしとくれやす」は、京都市民が聞けばきっと怒るんじゃないか、というくらい慇懃無礼な言い方でしょう。「おそばにいさせて下さい」というのも、当事者(夫)に対してのみ使う文句です。第三者相手に「おそばに」とは気持ちの悪いこと。ちゃきちゃきの江戸っ子だったはずの平塚らいてうのおかしなイントネーションが瑣末に思えるくらい、終始一貫してとんでもなかった夫婦の関西弁は直らぬまま、「あさが来た」は最終回を迎えようとしています。
これが我が国を代表するドラマシリーズなんだってさ。地方カラーに対する無知と無関心の感染症は、ますます広がっているようです。地域に独立した言葉を次々と崖下に投げ落とし、消失の憂き目に遭わせている元凶が、当のテレビであるは言うを待ちません。昔はテレビの話し言葉を「標準語」と呼びました。一部東京地域の言葉を標準と決めるのはおかしい、との議論があって、現在は「共通語」と言い換えられていますが、どうやら時すでに遅し。方言をテレビが駆逐した結果がブーメランとなって、今のドラマの話し言葉を堕落させたと言えないでしょうか。
かつては都市の中でも一部地域だけで使用されていた言い回しやアクセントがありました。京都の西陣地区では、外来語を独特のにごり方で話していたようです。1961年12月4日付の読売新聞夕刊に漫画家の近藤日出造が寄稿したコラム「やりくり街④」から引用します。
(前略)バスガールをパスガールといい、デパートをデバートといい、アパートをアバートと発音する人たちによって、西陣はおおかた成り立っている。
(中略)バスガールをパスガールという古い意識の人たちの間にも、新しい時代の波が風が吹き込んだ。お召しやつづれ帯を織っているだけでは、暮らし向きがストップしがちになった。今、西陣には2つの織物組合があり、1つを西陣着尺織物組合といい、これはお召し専門。1つを西陣織物工業組合といい、帯、きんらん、ビロウド、ネクタイ、マフラー、大幅の婦人洋服地などを扱っている。あきない高は、着尺組合が年間2百50億円ほど。工業組合側に2百50億円見当。この業者から機械を借りて賃バタをやっている戸数まで入れると、西陣かいわい、ざっと2万軒の軒先から、あるときはウキウキと、あるときはメソメソと、ハタの音がきこえる。(引用おしまい)
だいぶ昔の体験になりますが、京都でお年寄りが「アバート」と発音するのを聞いた覚えがあります。現在も西陣の若者はこんな話し方をしているのでしょうか。テレビの「標準語」に侵されて、貴重な地方文化の一つが失われたとすれば、それは哀しいことです。
読売新聞の記事には、高度経済成長に伴う洋服の普及による西陣の衰退の様子も描かれています。引き続き同記事から引用します。
ただいまのハタの音は、メソメソだ。この11月12日から19日までの8日間、着尺組合側のハタ屋さんは、ついに「金」という息の根が切れて、休業した。
着尺組合の植松理事長は、この間の消息を語る。「糸問屋からの仕入れの方は、6月1日から、102(日)、30日の手形を90日ぐらいに縮める、というてきたんです。一方、売り掛け代金の方は、120日が150日ぐらいに延びてしもうて、うっかりすると不渡りいう事態におちいったんです。あっちゃこっちゃでえらいことですがな。
この急場しのぐには銀行からの借金、いうわけですが、この狭い西陣に14もある銀行がピシャッと金庫しめてしもうて…14も銀行あるいうことで、私らと銀行、いかに深い仲かいうことおわかりでしょう。その深い仲が…まア夫婦別れしたようなもんですな。
かてて加えて賃金が上がりました。女工さんの1万円ベースが1万5千円になりました。どうもこうもならん。そこで、“自粛生産”なんて体裁いいこというて、つぶれるサキに手を打とう、いっぺん機械とめて値下がりのテコ入れしよう…そんなこんなで8日間の休職いう非常手段とったんですが給金ちゃんと払って8日間休めたあたりに、西陣のまア底力がある、と妙な強がりいうているんです」(引用おしまい)
どんな職業であれ、時代背景なくば正確な考証による作劇はできません。仮に西陣についての映像劇を作ろうとしたら、1950年代と60年代では経済状況を配慮した描き方が変わってきます。
「あさが来た」は大阪財界に身を置く主人公のお話でありながら、経済的な背景がまるで描かれませんでした。カメオ出演の落語家演じる奈良の金持ちにそそのかされ商いの道に進んだヒロインは、経過なき銀行取り付け騒ぎや炭鉱経営の成功に流されるまま放送終了に向かっています。顔に消し炭みたいなのをちょい塗りした経営者が、炭鉱労働を手伝うくだりにはあきれました。石炭の粉塵って、肌に刺さり皮膚炎を起こすんですよ。木炭とは違います。女性社長があごにペッチョリ着けたまま、素知らぬ顔で汗を流す場面のリアリティはゼロでした。
あと十数年後に70年安保闘争を描くドラマが作られたら、ヘルメットかぶってゲバ棒抱えた女性が、「闘争が終わったら原宿にクレープ食べに行こう」なんてセリフを平気でしゃべりそうです。笑い事じゃありません。安保反対と原宿クレープの時間軸的共存はありえないけれど、出来事としては数年しか違いません。考証などやらない電波であれば、アリになりかねません。
「あさ」の次は「とと姉ちゃん」。「暮しの手帖」創業者がモデルです。コマーシャリズムに妥協せず、消費者教育と情報提供にまい進した同誌をめぐる人々の物語を、現在のNHKが描ききれるのか。編集長だった花森安治のエッセイには名文が多く、おじさんも愛読者の一人。いいかげんな人物造形やストーリー展開は許されません。
花森の有名な編集方針に「100号の度に初心に立ち返る」があります。この朝ドラ94作目こそ、初心に返ってもらいたい。100作まで待つほど、視聴者は公共放送に寛容ではありません。