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2015/06/15

「花燃ゆ」第24話感想「マシになるために」

「三匹のおっさん2」(テレビ東京系)終了。面白かったなあ。他番組や局のゆるキャラとの露骨なタイアップ、子役や動物に頼りまくる演出、マンガのごときフキダシを挿入する不可思議描写、テレ東予算なりのロケを多用する安っぽい画面etc。それでも毎回楽しめたのは、今や消滅しつつある古き良き近所付き合いを、キャラクターが確立された3人の高齢者に託し、視聴者が望む失われた町内ホームドラマとして成立させた点にあったのでしょう。「おっさんをナメるなよ。俺たちゃな、三匹のおっさんだ!」という決めゼリフも、これまた失われた連続時代劇の代弁として許容できました。最後まで視聴者をナメてませんでした。
北大路欣也さんの殺陣は毎回背筋が伸びていて、さすがでした。竹刀とはいえ袈裟に斬る時、左脚を引いています。前に出したまま真剣を振るうと、自分の脚を傷つける危険性がありますからね。大河の久坂玄瑞は棒振りする際のお手本にしなさい。
最終回2時間スペシャルは、最後のキメで三匹のスローモーション一発。こういうのがホントの演出効果なんですよ。めちゃめちゃカッコよかった。「花燃ゆ」には、一回の放送中に何度も何度も何度もスローを多用する安達もじりさんという高速度撮影フェチがいますが、特殊効果ショット麻薬のオーバードーズに走ると、劇の方が崩壊しがちです。タイトルにこの人の名が出ると、無意味なスローカットがバカバカ流れますよ。みんなでバカにしましょう。
第24回「母になるために」の演出は安達さんから橋爪紳一朗氏に代わりました。ゲップが出るほどのスロー画面を見ずに済みそうです。ただし、脚本は例の大島里美さん。話がどこまで壊れるのか要注意です。
前回唐突に登場した来島又兵衛がキレることキレること。キャラを作っておかないから、高杉2号が現れてにぎやかしをやってるようです。両者が画面左右に収まっての内容不詳の議論が、近親憎悪のコントにしか見えません。
久坂は小田村伊之助の次男を養子にくれと申し出ます。そんなことよりまず、芸妓性交事件の家庭問題を解決しろよな。この問題まで放りっぱなしにする脚本だとは思いませんでした。ヒロインもモタモタし続け。杉文って、何なのよ? だれなのよ? 幕末に何をしたい人? 何ができた人? 何を視聴者に見せたい人? 君の志は何ですか?
相変わらず方言接続詞「じゃが」が多いです。「じゃが」と「志」が毎週何度出てくるか数えてみたら面白いんじゃないかな。視聴者による脚本家の語彙力検定。
「達者でな、文」と勝手に出て行く久坂。浮気問題は未解決のままです。身勝手な男ですが、後にこの問題に「目をそらさん」と手紙で書き送ってきます。男だったらメールなど送らず、愛妻に面と向かって言え、バーカ。お前は女の敵だ。
去りし夫に「まだケンカもしとらんのに」とグチるヒロイン。先週、お前が正念場で「そねえなことくらい」ってネグったからでしょ。杉文って、何なのよ? だれなのよ? 幕末に何をしたい人? 何ができた人? 何を視聴者に見せたい人? 君の志は何ですか?
新選組に囲まれた長州勢は、高杉がピストルを出してその場を切り抜けます。出来の悪いインディージョーンズかいな。初対面がこれじゃ、沖田総司も今後ロクな見せ場が与えられそうにありません。長州の田舎者どもは直後に「将来はこうなる・志祭り」を開催。中二病が進行していて、視聴者は恥ずかしくて仕方がありません。
恥ずかしいと言えば、パティシエ文が、八ツ橋モドキを三条実美のために自作するとこ。けなげっていうより、痛々しい。山口の田舎で京の都の目玉商品を、見よう見まねでコピーするんですよね。動機は「菓子で京が焼かれることを防げれば」。ヒロインにそこまでの行動を取らせる根拠を作品は提出していません。「江」の「イクサはイヤでござりまする」と同レベルです。ちなみに一般に田舎者とは地方出身者ではなく、自分だけしか見えず、幼く身勝手な振る舞いをする人間のことです。
後の夫婦、文と小田村の会話が入ります。「振り払うてしまいました、あの人の手を。いつもこれが最後かもしれんと思うとったのに。バカですね」。バカです。回が替わったから不倫問題をチャラにしようとしていませんか? ここで浮気された女の主体性が発揮されなければ、ヒロインに値打ちなんかありゃしません。
小田村がカッコつけます。「久坂と寅次郎が重なる。久坂には家族があって、命の重さを知っている」。えーと、このトンチキには重大な事実誤認がありますね。久坂は死ぬつもりで家を絶やさぬため、養子縁組を申し出たんじゃないの。上洛禁止の京にすぐ上るっていうのは、死を覚悟しているわけですよね。大島さん、今回もグラグラですよ。大丈夫ですか? そういや「大丈夫」ってセリフも少なくないな。
久坂・小田村怪談会談でとっくにケリがついたはずの養子問題を、小田村家へ押しかけてきた文が蒸し返します。夜中によう出歩くおなごじゃの。
ここでホメておきたいのですが、優香さんが一所懸命に女優してました。正直これまで、中途半端なタレントが役者業ナメとるわ、と小バカにしていたんです。この場面での優香さんは、おじさんが想定していた水準よりだいぶ上でした。エラソーに言うつもりはないんですが、人間って努力で変わるもんなんですね。脚本はメタメタなシーンですけど。
メタメタ脚本は、小田村夫婦を次なる毒牙にかけます。「これだけは覚えておいてくれ。俺だってお前が必要なんじゃ」。こども2人もいる夫婦が交わす会話ですか。新婚のデキ婚バカップルですか。大島シナリオは、なぜいつも夫婦がこんなに薄っぺらいんだろう?
だれか、「花燃ゆ」に何か言うてくれへんか? 同業メディアには、NHKの駄作を批判、矯正を働きかける権利はないのか? 他局の事実誤認をバラエティ番組の具にして笑い飛ばすことはできないのでしょうか?
過去にそれをやってのけた局がありました。他ならぬNHKです。1980年4月2日付の毎日新聞夕刊「人気歴史ものをヤリ玉に」から引用します。
旗本の年収調査、石川五右衛門の釜(かま)、吉良上野介のカルテ、仇討ちの成功率調査……などユニークな番組をつくっているNHKテレビ「歴史への招待」が、今度は(民放の)“人気番組に挑戦”するシリーズをつくっている。
▽「水戸黄門漫遊せず」(10日放送)▽「大岡越前裁かず」(17日)▽「実録・天保水滸伝」(24日)の3本。
「民放の番組を茶化すわけではないが……」(北山章之助ディレクター)というが「水戸黄門」も「大岡越前」も民放の人気シリーズ、それを鈴木健二講談でヤリ玉にあげようという企画である。たとえば「水戸黄門漫遊せず」は、黄門さまは実は勿来(なこそ)の関から鎌倉までしか行ったことがないのにとからかうし、「大岡越前裁かず」にいたっては、名のあるお裁きはたった1件、“大岡裁き”の中には旧約聖書の焼き直しもあるのに、と「大岡越前」を“裁く”。
いわゆる“大岡裁き”の中でも有名な天一坊事件は、大岡ではなくて勘定奉行のやったこと。石地蔵取り調べは100年前の京都所司代の事跡。「直助権兵衛」事件は実際にあったが担当は北町奉行所だったというぐあいに進んで、テレビドラマでおなじみのお白洲(しらす)はウソで、実際にはこうだったとスタジオに再現する念の入れようだ。(引用おしまい)
民放各局の企画担当者様方、いかがでしょう? 「花燃ゆ」はネタの宝庫です。NHKは、かつて自分たちがやっていたことに文句が言えるはずがありません。「本当はこうだった『花燃ゆ』」、「吉田松陰と長州の真実」等々。相互批判の精神はメディアを健全にします。お化け番組など存在しない日曜午後8時に放送すれば、視聴率も稼げるかもしれないし、自局やライバルの体力強化にもつながって競争意欲も高まろうというものです。視聴者の関心もアップ、テレビ番組が面白くなりますよ。
ドラマ愛好者として、「三匹のおっさん」から北大路欣也さんのセリフを本作に贈りましょう。「視聴者をナメるなよ。俺たちゃな、ドン引きの視聴者だ!」