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2015/05/11

「花燃ゆ」第19話感想「視聴者たち、手を結べ」

最初に言っちゃうと、「花燃ゆ」の構造上最大の問題点は、登場人物を映像のパーツとしかとらえていないことです。今回の西郷吉之助(隆盛)、前回までの坂本龍馬、宮部鼎蔵らの唐突な出現と無意味な舞台配置、井伊直弼の使い捨てなどから、その時代に生きた人間がつくるものである歴史への敬意なく、ドラマをつくる側で歴史を創作できるとの思い上がりを感じます。徳川慶喜、島津久光を、演技経験なきお笑いコンビに任せる感覚からも、その傲慢さが透けて見えますね。
第19回「女たち、手を組む」を見ましょう。興味のわかないタイトルですね。冒頭、処刑された犯罪者吉田松陰の同人誌を復刻して資金集めをしようと塾生が集まっています。その数6人。文が抱えたお盆にはおびただしい数のおにぎりが載っています。前半で京に行くからカネ出せとゴネる久坂玄瑞が、金輪際こいつに共感してやるものか、というぐらい見苦しいですが、経済感覚がないのは妻も同じです。あのおにぎり盆、実は消えものじゃなくて美術スタッフの力作なのかもしれません。いつも満載。
毎度のことながら、セリフには頭を抱えます。「お財布に厳しい世の中」(文)、「わたくし、なんかやらかしましたでしょうか」(高杉晋作)等々。今回のワーストは、「久坂の奥方のお文さんじゃ」「久坂玄瑞の妻、文でございます」に決定。オウム返しのセリフって本当にイラッと来るんですよね。俳優がかわいそうです。この作品でわけのわからんたわ言を聞かされたり言わされたりしている石丸幹二さんは、現在「みんなのうた」で「かいじん百面相」を歌って踊っていますが、こっちの石丸さんの方がずっと輝いて見えます。
今回は東出昌大さんへのいじめがすごいですね。妻にカネをタカるDQNっぷりもめちゃくちゃですが、上海に行く高杉に「異国と戦おうちゅうのに、異国に行ってどうするんじゃ」と言い放つネトウヨ以下の小学生的言動は看過できません。第一、行き先は上海だろ。久坂は中国人相手にも攘夷かますつもりだったのか。そんなヨタよりも、清国の現状を説明セリフで構わないから、語ってくれた方がよほど視聴者に益がありましょうや。
女どもはテロ資金と知りながら、笑顔で都合よくカネ集めて送り出します。場面を冷静に振り返ると、「半分は焼きかまぼこにします?」なんて言ってきゃあきゃあ騒いでいるこいつら、正気の沙汰ではありませんね。
高杉の妻を押し出す回だったんでしょうが、前回の坂本龍馬同様にまったく意味がありません。大河として、時代劇として、映像作品として空虚なのです。感想といえば、可愛らしい女優さんですね、ぐらいかな。高杉の「泣いてもええぞ」も馬鹿みたいなセリフですよ。ここまで夫婦の情交をまったく描いていないのにさ。制作は何様なんだ。
その高杉が久坂に述べる吉田松陰のやり残した問題の説明に注目せねばなりません。①攘夷の決行②外国を見ること。イデオロギーの根源が抜けていますね。「尊王」。皇室問題を抜きにして幕末は語れません。松陰生前から、ずーっと触れずに来た矛盾点がここにあります。まさに本作の馬脚です。
あまりのひどさに視聴者が口を開けているすきに、亀太郎は京へ到着。手形どうした、路銀どこで盗んだ? 萩から包丁抱えて来たんか? どうして切腹する、それも包丁で?  テロに失敗して仲間からの拷問を恐れたのか?
暗殺未遂現場近くで馬鹿でかい声を挙げてコントをやらかす久坂玄瑞一味。久坂は毎回足りない人だけれど、今回は特にひどい描かれ方だな。
亀タローの「最初に死ぬんは、わしみたいな弱い者でええ」というセリフは危険ですね。70年前の戦争を想起させます。敵陣への肉薄攻撃、爆弾三勇士、回天や桜花の特攻隊……。自衛隊を海外へおおっぴらに出そうかと言っている内閣におもねっているのでしょうか?
魚屋の母に出しゃばり謝るヒロインがクズです。この女、幕末という激動の時代に何がしたいんだか。今回は前原一誠を超えた慇懃無礼っぷりです。
「花燃ゆ」第19回は、愚かな銃後の女たちが寄ってたかって若者たちを死地に送り込み、とりあえず魚屋が戦死した、という内容に終わりました。普通はここまで話をぶっ壊すのは至難の業ですが、冒頭に述べた歴史への敬意がないからこそ可能な荒業なんでしょう。
脚本家が3人交代制になったそうですが、レーニン死後のソビエト連邦を思わせるほど死にすぎです。キャストが出ちゃ殺され出ちゃ殺されの「粛清」は芸がありません。このトロイカ体制のどいつがスターリンなのか知りませんけどね。
こんな状況下、ネットでは視聴率低下による番組打ち切り説が流布しています。冗談じゃない。視聴率なんてものは、民放局と、そのスポンサーが気にするものであってNHKがぐじゃぐじゃ話題にする筋ではない。公共放送は、その呪縛からフリーである特権を持つと同時に、高い水準の番組を放送する義務を擁するのです。ネットメディアも騒ぎ過ぎ。
東京放送(TBS)には、独自に数字を分析する部署がありました。上村忠調査部長へのインタビューである、1980年4月16日付の毎日新聞夕刊「チャンネル・ゼロ」から引用します。
「東京、大阪のような大都市の場合、365日を1秒ごとに記録、翌日には速報も出るという視聴率競争が続いていますが、私のほうは調査の実施を管理するのが仕事。視聴率をどう使うかは編成、営業におまかせしています。しかしプロ野球ペナントレース同様、緒戦に勝った勢いで……というわけで各局さんともイベント番組、特番でシノギをけずっていますね」
入社以来、この道20年以上というベテラン調査マン。視聴率を含む各種調査の分析、利用については民放界の第一人者といわれている。
「どの局とはいいませんが、東京の民放5局について3強1弱1番外地などといわれてきましたがこの4月は1強4弱ということになりましたね。しかし視聴率を他局の足を引っ張る後ろ向きの競争の中で使うのは感心しません。視聴率はあくまでもプロフェッショナルのためのもの。興味本位の勝った負けたに使うのは結局は自分の首を締めているようなものなんです」
それでもテレビ局、視聴率の上下が収益と密接に連動するとあって、やはり一喜一憂。うちうちで祝勝パーティーを開いたり、社長賞を出したり、海外出張中の幹部に連日国際電話で報告したり。とにかく局内が落ち着かない季節であることは確かだ。
「視聴率調査そのものの問題点? そうサンプル数300という少なさにあるでしょう。最大誤差プラス・マイナス5.8%ですから実用の最低限度です。もちろん統計学上はこれはこれなりに使い方があるわけですが、ユーザーの立場から言わせてもらえば、株主に配当するよりもサンプル数をふやすのに、カネをかけてもらいたいと思います。でも世間でV(ビデオリサーチ)とN(ニールセン)の数字の差が取りざたされますが、1カ月あるいは1クール(3カ月、13回)を平均してみれば、どの番組も両調査の差はほとんどありません。近視眼的な見方ではなく、マクロ、グロスで視聴率は“読む”ものだと思います」。上村さんの仕事で業界内外から<JNNデータバンク>。3100人を対象に年2回、1千質問1万項目にわたる生活意識から商品普及などの調査で、結果は番組の主役起用からCMタレント選定などさまざまに活用されている。
「いろんなことがわかります。ごくごく俗な一例をあげれば、爬(は)虫類と政治家に対する好ききらいのパターンが酷似しているといったことまでも」(引用おしまい)
「3強1弱1番外地」というのは、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、東京12チャンネル(現・テレビ東京)です。NHKは入っていません。スポンサーがいないのだから、気にする必要がないものね。自由な番組が作れるNHKの強みです。これを読んだだけで、視聴率調査の一般視聴者に対する意義の無さがわかるではありませんか。現在、公共放送が視聴率の呪縛を報道されていることがおかしい。
「花燃ゆ」のような駄作が現れただけで、打ち切りを云々議論するのは愚かしいと言えます。打ち切りなど言語道断。本作は12月まで垂れ流し続け、視聴者の批判を浴びるだけ浴びるべき作品です。膿を出し切って、反省して次作につなげる。第二第三の「花燃ゆ」を作らないための検証第三者委員会を設置してもいい。いや、設置するべきです。この程度の決断なくば、50余年の歴史ある大河ドラマとはいえ、次がないのなら中断すればいい。
「江〜姫たちの戦国〜」という駄作の総括ができなかったNHKが、新たな駄作を提供している現況が悲しいです。視聴者は次作のためにも、「花燃ゆ」が打ち切りにならぬよう、監視すべきです。堕ちるところまで堕ちて、年末まで恥をかいて、反省材料として本作を中途半端に流さし捨てない意欲を視聴者は求めるべきです。局に求めましょう。
ノーモア、クズ。全国の視聴者よ、団結せよ。