えっ、桂米朝はんが亡くならはった? ウソやん! もうちょい笑かしたり泣かしたりしてほしかったわ。
おとむらいや。白菜買うてこ。もう春やけど、米朝はんご出身の兵庫県産がまだ出回っとるやろ。コブも買わなあかん。「都こんぶ」ちゃうで。北海道のええやっちゃ。カツブシも一本要るがな。ウチには削り器あれへんのかい! どないしょ、どないしょ……。
著名人が亡くなったからといって、あまり感慨を持つタイプではありませんが、松谷みよ子、桂米朝の連打は効きますね。米朝さんの私的お見送りに、白菜入り湯豆腐を執り行うことにしました。
1971年12月22日付の朝日新聞に掲載された米朝さんのエッセイ「わが家の鍋料理」から引用します。この欄で先日、楠本憲吉さん(注・俳人)が総じて大阪の人間はなべものが好きなようだといっておられた。私もその例にもれない。よく同居の弟子たち3人(すずめ、米太郎、米輔)もいっしょにわいわいがやがやいいながら一つなべをつつくところに、文字どおり“落語長屋”の楽しさがある。私のところのなべは白菜入り湯豆腐だ。風が冷たくなって、八百屋の店先にシャキッとしたハクサイが並びだすと、待ちかねたようにこれをはじめる。だしはコブでとる。たれのしょうゆにはカツオブシを削ってたっぷり入れる。化学調味料などはいっさい使わない。コブとカツオブシでつくる味は、あっさりして、しかもコクがあるという、世界に例のない日本の味覚文化のエキスだと思う。この二つ、とりわけコブにはできるだけぜいたくすることにしている。そして豆腐も白菜も、くたくたにたきこまないようにだけ気をつけて私は食べる。しかし、はたち代の弟子たちや10代の息子どもには、これではどうも物足りないらしい。私や家内がひとしきり食べたあと、厚あげ、モヤシ、ニンジンや魚の白身、コロ(乾燥したクジラ肉の本皮)などをほうりこむ。彼らの本番がここから始まる。ほんまにうまいのはこれからや、といっている。ときにはうどんも入れているようだ。春になって白菜が切れるまで、わが家では週に1、2回はこのなべがつづく。(引用おしまい)
かつて60人を超えていた上方の噺家は、戦後10人ちょっとにまで減少したそうです。米朝さんは、レッドリストに載るほどの絶滅寸前の演芸を、後進の育成と噺の再発掘という難事業に挑み続けて救いました。
おじさんなりの敬意を払いたく、湯豆腐をつっつきながらyoutubeで往時の名演を鑑賞するとしましょう。
米朝さんは今、何をしてるんでしょう? 閻魔様を前に、得意の「地獄八景亡者戯(じごくはっけいもうじゃのたわむれ)」でも披露しているのですか。ひょっとしたら、久しぶりに再会する笑福亭松鶴や桂春団治たちと、ドブロクを酌み交わしつつ上方落語の再興について語り合っていた、戦後間もないころの思い出話にひたっているのかもしれません。