コピー禁止

2014/11/07

没後25年、松田優作はトンガっていた

俳優の松田優作が死んでから、もう25年もたつのですね。
遺作になった映画「ブラックレイン(Black Rain)」を、劇場で見てスゴい役者だったんだと驚いた直後に訃報を聞いたのか、亡くなってから足を運んだ映画館でその才能の喪失を惜しむことになったのか、記憶があやふや。25年とは、そういう長さです。
おじさん、生前の松田の映画はほぼノーマークだったので、死後の追体験だったのですが、「家族ゲーム」の演技が好きだな。森田芳光監督も亡くなりましたね。
今日は、その「家族ゲーム」で映画祭の賞を受けた時の松田のインタビューを紹介します。演技の新境地に至った喜びと、常に不満を抱えた、溶岩を流し続ける活火山のような松田の両面が表れた、興味深い記事です。1984年2月4日付の朝日新聞夕刊「松田優作 ふやした『ひき出し』」から引用します。
ヨコハマ映画祭は今年も盛況だった。若い映画ファンの手になる「熱いまつり」である。松田優作は「家族ゲーム」で主演男優賞を受けた。
「うれしいですね。メジャーの映画祭はうさんくさいけど、ここは紗がかかってないから」
硬い表情をくずさない人だから、さしてうれしくないのかなと思ったら、本音だという。
「家族ゲーム」(森田芳光監督)は、かいぎゃくと風刺に飛んだ風変わりな「ホームドラマ」である。松田優作は家庭教師を演じた。ちょっとえたいが知れないが、いまどき、いかにもそんな若者もいそうなリアリティーを出して、見事だった。「役のニュアンスをつかまえるのが大変だった。撮影の初日、教え子と初めて会うシーンだったんですが、何十回となくダメを出された。切羽詰まって、自分を空っぽにして、ふうっと息を出して、ボソボソとしゃべったらオーケーが出た」
この時得たものが大きいという。役者はよく、その人なりの演技の型を「ひき出し」になぞらえるのだが、「先を見越した芝居はやめよう。即興というのではなく、自分を無にした『空白のひき出し』も、ひとつ持っていないといけない」と気づいたのである。
こわもての刑事とか、一匹オオカミの殺し屋とか、ひところのアクションスターのイメージは、いまやぬぐい去った。「ピストルが重くなった」時期があって、「はしと茶わんを持つことから始めよう」と決めてから、4、5年になる。
「男と女だけの話は、この国では、なかなか映画にしてくれない。この国では、映画が最も遅れたメディアですよ。頭でっかちで、カネをかけないでごまかすことばかり考えている。その点、テレビは、映画より強いパワーで映像を切りとっている」放送中の「夢千代日記」に続いてNHKに出る。和田勉ディレクターのお声がかりで、近松門左衛門の「女殺油地獄」の撮影に3月からはいる。映画は、いくつか断って、1本だけ思案中、ロックコンサートは夏に、という。
話が老いた松田優作にとんだ。「やっぱり役者をやって歌ってるでしょうね」。ロックをうたう笠智衆ですか、そういったら、「最高、いいですねえ、いいなあ」と、ついに表情がゆるんだ。(引用おしまい)
最後のくだりが哀愁を誘います。諸行無常。松田が「頭でっかちでごまかすことばかりの遅れたメディア」と批判した邦画界は、インタビュー後30年を経て変わったのでしょうか? 商業作品から新しいスターが生まれたり、斬新な映像作家が送り出されてきたりしましたか? ここぞという作品には、テレビで名の売れたタレントの顔が並んでいませんか?
テレビの台頭、スターシステムの崩壊など、時流の変化は理解できます。でも、本来はライバルであるべきテレビから人材を供給してもらってどうする。映画が生んだ最後の、華があるスターとして思い浮かぶのは、今のところ沢尻エリカさんでしょうか。「パッチギ!」からもうすぐ10年が過ぎようとしています。
松田優作没後25年。金狼が蘇ることはありませんが、映画には次代の金狼を生み出す可能性を秘めています。
「何じゃ、こりゃあ!」のジーパン刑事だった、テレビ俳優松田優作と、映画俳優松田優作は別物だと思います。森田芳光との邂逅が松田を別物にしたのではないか。
黒澤明が三船敏郎を、ジャン・リュック・ゴダールがジャン・ポール・ベルモンドを、セルジオ・レオーネがクリント・イーストウッドを見出したような映画の奇跡を、いま見たいのです。