個人の青春時代や仕事を美化しておきたい気持ちはわからないでもない。さすがに最近では、日本があの地、かの地で行った残虐行為や過酷な搾取などが常識的な知識になってきて、そんな人は少なくなったように見えます。
今日は終戦直後フィリピンの残留日本兵を例に、日本軍がいかに嫌われ者であり、かつ日本政府が彼らの救済に無能無策無力だったかを新聞記事から検証します。1946年2月27日の朝日新聞「比島に日本兵ゲリラ」から引用します。
【マニラ25日発SF=共同】比島政府は少なくとも4千名の日本兵がいまだ降伏せず、マニラ背後丘陵地帯で戦闘行動を続けていると推測している。22日の小戦闘では6名の日兵と2名の比島兵が戦死したといわれる。(引用おしまい)まだ大戦が継続中だと思い込み「作戦行動」を続ける「旧軍」部隊。何の名誉にもならず、むしろ日比両国にとって迷惑でしかない。日本政府はといえば、国内で餓死者を出すに任せる惨めな敗残国家。日本を支配する米マッカーサー元帥が「四等国に転落した」と言った大貧乏国は、マスコミや市民団体も、南洋の島まで足を運ぶことができません。戦争に負けるとは、こういうことです。
日本軍に恨みこそあれ、毛ほどの感謝もないフィリピン人は、このやっかいな亡霊の排除に乗り出します。1952年1月29日の朝日新聞「ルバングの日本兵掃討開始 比国政府が言明」を引用します。
【マニラ28日発=AP特約】フィリピン政府は28日、大舞台の軍および警察隊をくり出してルバング島に残っている日本兵狩りを開始した。フィリピン軍当局は同日、いろいろの情報から判断して、去る12日同島でフィリピン人4名を殺害した4名の日本兵は同島に潜伏する日本兵の大きな集団の一部にしかすぎないと言明した。(引用おしまい)ここからフィリピン当局と元第日本帝国軍人・現ゲリラ集団との血で血を洗う殺し合いがスタート。解放者として尊敬を集めていれば、こんな扱いは受けません。
元日本兵は厳しい環境のジャングルにこもり、次第にその数を減らしながら戦闘と略奪を繰り返し、1950年代を無為に過ごしていきます。戦いの様子は当時の新聞にたびたび掲載されていますが、残念ながら日本政府の目立ったアクションは、サンフランシスコ講和以降も見られません。旧軍人は棄民です。
たまらないのは、息子や父、兄、弟をフィリピンに送られた兵士の家族たちです。
この項、続きます。