コピー禁止

2014/07/20

明治の稲川淳二、泉鏡花

稲川淳二の季節がやってきました。怪談で納涼です。省エネです。
明治時代後期から大正にかけて、料亭などに作家ら文化人たちが集い、思い思いに狐狸妖怪怪異を語り合うブームがありました。その中心人物が泉鏡花です。
こういう本が出ているくらい。己の文才の限りを尽くし、同席者をいかに恐怖を味合わせるかが文士たちのたしなみだった時代。今日は、新聞記者が同席した1909年6月26日の東京朝日新聞「妖怪会議 雨の夜鏡花会の事」から引用します。読みやすくするため、句読点をおじさんが加増しています。
(前略)フロックの医学士は泰然たるもので「医科大学の解剖教室には寝台が11個あります。それに死骸が満員になったまま一夜を過ごすと、翌朝きっと一つは台から落ちています」。
自ら解剖参観通を以て(もって)任ずる白面の法科生は「柳橋の美人が死骸となって運ばれた。その神々しさ艶やかさ。執刀の若手連、いずれも恍として手が萎えた。某先生、笑って一刀に鼻を削いだので、やっと一同平然刀を閃かしたということです」と承ける。
尼寺の仏壇の蜘蛛の巣を説き、また早雲寺の猫がいったん死んで足の裏に経文を書かれたため蘇生って(よみがえって)更に十数年の寿を保つ事を語ったのは、文壇に隠れもしない佃の姉御で、涛龍館の狸を談じ、比丘尼橋逢引橋の怪を論じたのが新橋のつうちゃん。金沢の地が怪異伝説に富んでいる事は主賓鏡花氏が明細に説明する。
沢の鶴の1合瓶を宛がわれて(あてがわれて)少し元気を回復した頃は、狐狸河童を論じて妖怪と幽霊の区別に及ぶのもあれば、しきりに臨終感応を列挙するのもある。(引用おしまい)
 「文壇に隠れもしない佃の姉御」というのは長谷川時雨。現代では忘れかけられている感じですが、おじさんはもっと評価されていい名文家だと思います。一読平易に見える文章だけど、実は選びに選んだ言葉が心に刺さる。もっともっと再評価されるべき女性作家です。「新橋のつうちゃん」は永井荷風かな?確証はありません。
長谷川時雨が怪談を語り、泉鏡花が金沢の怪異伝説を解説する午後10時散会(明治時代では深夜)の怪談語り。ぜいたくすぎる。あ〜、同席してみたかった。
妖怪幽霊の類が文化的教養でありえた時代は、まだ救いがある世相だったのでしょう。世相と政治、経済に余裕があってこそ文化が花開く。くだらないことにエネルギーを費やす余裕のある社会とは、平和を表すと思います。