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2014/06/13

集団的自衛権・小沢昭一的遺言

11日の自民党と民主党との党首討論は、両党首による議論の中身の薄っぺらさもさることながら、安倍晋三首相の後ろに居座る与党議員のにやにや顔に、おじさんはいままでにない嫌悪感を覚えました。
集団的自衛権行使という、日本国民の生命の扱いが大きく変わる一大事に、その命を預かる国会議員が、ニタニタ笑いながら議論に野次を飛ばしている。こんな人たちに運命を握られて、自衛隊員は他国の都合のために死地におもむかなければならなくなるとは。サッカーのワールドカップにテレビ、新聞、雑誌みな雁首そろえて大騒ぎしている間に、話がどんどこ決まっていくんだろうなあ。
このブログは普段古いニュースを引っ張り出していますが、今日は2011年4月24日の朝日新聞から、一昨年に亡くなった俳優の小沢昭一のインタビュー記事を紹介します。東日本大震災被災地と、自らが体験した焼け跡からの戦後復興を比べて話していますが、解釈改憲への国民の受け取り方に対する、大事なヒントになると思います。以下に引用します。太字挿入は、おじさんによります。

(前略)当時は「みんなで頑張ろう」なんてかけ声もなかった。みんな焼け跡で、今日を生きることで精いっぱい。てんでんバラバラに頑張るしかなかった。
それまでの「一億一心」から、正反対の「てんでんバラバラ」。この「てんでん」というのは、個人一人ひとりの「自立」なんです。そのてんでんを深めよう、バラバラを深めようと、急に切り替わった。でも、バラバラの価値観をどう深めていくか。それは大変でも、そのために戦争という大きな犠牲を払ったわけですからね。
戦後はみんなが何もかも失って貧しかった。でもその代わり「自由」なるものを味わって、これにすがりつこうと思い、みんなが希望を持った。(引用おしまい)


戦前の日本では、個人の自立は許されませんでした。アメリカでもイギリスでも、戦争している間は一緒だけどね。国民がすがりつく希望が集団的自衛権にありますか?希望を奪うだけではないかな。続きを引用します。

(中略)だから今回、「一致協力」とか「絆(きずな)なんてことが強調されるのが実はちょっと心配なんであります。いつかまた、あの忌まわしい「一億一心」への逆戻りの道になりゃしないかと、そんな気がするんですね。だから私たちの世代には「絆」ってのはちょっと怖い言葉なんです。耳にタコで、こりごりしてる。でも若い人たちには初めての新鮮な言葉なんでしょう。いつの間にか意味がすり替わらないように、気をつけなくちゃいけませんよ。(引用おしまい)


「同盟国が一致して」とか「日米同盟の絆」なんて言葉が昨今飛び交っています。一致協力はサッカー日本代表に任せて、奇妙な絆が結ばれないように、気をつけなきゃいけませんね。おじさんも、地球の反対側のブラジルの様子をテレビで見つつ、地球の反対側へ派遣されるかもしれない人たちのために、ニタニタし過ぎないように、気をつけます。