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2014/05/29

阪神ファン暴発史(上)安保並み暴動編

プロ野球の阪神タイガースファンのチーム愛は熱いよね。そのエネルギーが、間違った方向に使われると往々にして困ったことになります。今回は過去の阪神ファンが起こした事件を検証して、みんなが巻き込まれたり集団心理に誘われて加害者になったりすることにならないよう、考えてみたいと思います。
念のために言っておくと、おじさんにはタイガースとそのファンをおとしめる意図はまったくありません。サンプルとしてわかりやす過ぎるので、阪神を選びました。
1962年9月12日、甲子園球場での阪神ー大洋戦。クロスプレイになった大洋の選手が阪神の三塁手をけりました。これが事件の発端。一塁側観客席から空き缶などがグラウンドに投げ込まれました。
13日の朝日新聞朝刊から引用します。スポーツ面じゃなくて、社会面に載った事件記事ですよ。関係者の詳しい住所、職業、実名はおじさんの判断で外してあります。

(前略)警戒中の甲子園署員らがネット裏でざぶとんを投げた岡山県赤磐郡A(25)を検挙しようとしたところ、Aは抵抗し、これに加勢するファンもあって、騒ぎはいっそうひどくなり、場内は総立ち。この間にも空カンが飛び、数人のファンが頭にけがをしたが、さらに興奮したファンがグラウンドに飛降り(ママ)、一塁コーチスボックスにいた大洋の宮崎コーチに走り寄ろうとして、球場係員に制止されたのをきっかけに十数人のファンがなだれ込み、大洋選手の方へ走り出した。マウンドにいた村山投手ら阪神選手がこれを制止すれば大洋ベンチからも全選手が飛出し(ママ)、あわやファンと乱闘という場面まで見せた。
このため試合は16分間中断のあと、騒然とした空気の中で再開され、結局4-0で大洋が押し切ったが、選手通路付近にファンが待ち構えているため、大洋選手は武装警官に守られ、バックスクリーンの通路からパトカー、白バイの護衛つきで宿舎に引き揚げた。
宿舎付近にはなお約50、60人の阪神ファンがとり巻いたが、13日午前零時すぎ、兵庫県警機動隊が出動してやっと解散させた。なおAら4人が逮捕された。(引用おしまい)

グラウンドに乱入した無数の阪神ファンが、ナイターのカクテル光線を浴びながら大洋の選手たちを追う写真も掲載されています。いかにも怖くて、おじさんにはそれが人間ではなく、犠牲者を求めてさまようゾンビの群れに見えました。
この暴動はいかにして形成されていったのでしょう。まずは警官の取り締まりに横柄な態度がなかったのか。関西人は権威を嫌います。心理を描写すると、「わしらのタイガースがいじめられとんのに官警が何さらしとんじゃ、ワレ」です。
次に最初にグラウンドに入ったファン(扇動者)に続く乱入者を断固阻止すべきところ、簡単に第二波の侵入を許してしまうミスを犯しています。これによって、観客は乱入へのフリーパスを得たと思い込みます。
大洋側の対応にも問題がありました。さっさと逃げればいいものを、絶対的多数の観客に立ち向かおうとしました。これで球場中を敵に回してしまいました。阪神ファンの暴徒化は必至です。みんなも愚連隊に絡まれたら、ケンカは買わずにとっとと逃げるが勝ちだよ。変にメンツを立てようとしたらろくなことになりませんからね。
結果、パトカー、白バイの護衛付きという、政府要人クラスの待遇で大洋は宿舎に帰りました。阪神ファンが取り囲んでいるから、夜遊びにも出かけられないよ。トラブルに対しては、カンカンにならず冷静に対処した方が結局はトクだね。
このころは、日米安全保障条約をめぐる争いに、日本中の機動隊がしょっちゅう出動していましたが、まさかプロ野球のいさかいに駆り出されるとはね。
大洋と阪神ファンの因縁は2年後の1964年のダブルヘッダー第2試合まで続きます。阪神連敗の色が濃くなると、またも空き缶を投げ込んだ観客3人が軽犯罪法違反容疑で現行犯逮捕されました。懲りないね。この程度で新聞に名前が載って、それが50年後にも図書館のデジタル縮刷版で読まれちゃう。みんなも危機管理には気をつけて下さいね。