コピー禁止

2014/05/14

広島カープ誕生

プロ野球の広島カープががんばっていますね。お金のない球団なので、よそのチームから有名選手を呼んでくることができません。新人を一から育てるか、安い給料でも働いてくれる無名の外国人選手を雇うしかありません。広島カープってどんな風にできたのか調べてみました。
1949年にプロ野球が二つのリーグに割れる分裂騒ぎが起きました。リーグが分かれるとチームの数が足りなくなるので球団を増やすことになって、手を挙げた会社の一つが広島です。
会社と言っても、広島野球クラブという名前の急ごしらえ組織に、地元の新聞社やお金持ちが資金を出す形でした。巨人みたいに親会社が支えてくれるわけではないから最初から貧乏でした。
図書館の朝日新聞デジタル縮刷版で検索しました。1949年11月30日に「広島カープス、セントラル加入 」という記事があります。初めは「カープス」だったんですね。人気の巨人といっしょのセ・リーグに入りました。順調です。テレビで巨人との試合を放送してもらって、お金が入るかな?
でも、そのころ日本にはテレビ放送がありませんでした。残念!以後、広島は華やかなプロスポーツの世界とは縁遠い赤貧ロードを歩むのでした。
1950年6月26日朝刊「カープに警告、加盟金納めねば除名」。リーグに入ったからには、加盟金と運営するための分担金300万円を払わなければいけません。会社の株を売り出してお金を集めようとしたのですが、みんなが買ってくれなかったのです。夏のペナントレース真っ盛りに、300万円の金策に走り回るプロ球団です。デビューイヤーはもちろん最下位。優勝チームとのゲーム差に興味がある人は調べてみてね。きっとビックリだよ。
翌年は開幕どころか、お正月から大騒ぎです。1月11日の朝刊広島の整理問題持ち越し」。とにかく貧乏なので経営ができません。3月15日の新聞には「解散か大洋合併か」との見出しが出ます。同じリーグの大洋ホエールズと一つの球団になって生き残れ、と言われたみたい。今だったら一面トップで報道される大ニュースですが、これ社会面の下の方のベタ記事です。だれも広島に興味がなかったんだね。かわいそうなカープ。
広島はこの危機もなんとか乗り切りました。開幕直前の3月終わりに今シーズンだけは球団が存続できることになりました。バンザーイ!
その年のセントラルリーグは無事に始まりました。ところが、そこにカープの姿がありません。どうした、広島?4月3日付朝刊第二節から広島カープ参加」。お金をめぐるドタバタのせいで、開幕に間に合わなかったんですね。一応言っておくと、広島東洋カープはプロ野球の会社です。
その後も広島は、チームの御家騒動や球場での暴力事件などといった、野球とは直接関係のない話題を振りまきながら低迷を続けます。
その辺はとっても面倒なので割愛します。しかし「暴力といえば広島」というイメージは、東京方面にもあったようです。1954年4月22日朝刊「広島でまた暴行」。「また暴行」で、関東の野球ファンは何事か納得できていたのですね。
カープに不利な判定をした審判を、グラウンドに乱入した観客200人が取り囲み、袋叩きにしたそうです。記事に「袋叩き」と書いてありますから、審判は文字通りボコボコにされたのでしょう。広島こわ〜い。金欠の広島球団は罰金5万円を支払ったそうですよ。
そんなこんなで、めっちゃくちゃだった広島東洋カープも、1975年には優勝して一時の黄金時代を築きます。その辺に興味がある人は調べてみてね。
最近はお金持ちが絶対に有利、という資本主義の論理に従っているカープだけど、今年は優勝のチャンスです。
来年は戦後70年。原爆を落とされて、復興に大変な苦労をされた広島のみなさんにカープが報いてくれたら、おじさんもちょっとうれしくなるかもしれません。だけど、優勝して選手たちの給料が上がったら、球団は支払えるのかな?