サッカー・ワールドカップのギリシャ戦が終わりました。日本代表は残り試合を全力で戦ってほしいものです。
今日は、敗戦直後に国際サッカー連盟から除名され、懸命に国際舞台への復帰を画策する日本蹴球協会(今の日本サッカー協会)の迷走ぶりを振り返ります。1947年2月10日の朝日新聞から引用します。
日本蹴球協会では8日夜、大阪の関西協会事務所で役員総会を開き、満場一致で天皇陛下に同協会総裁をお願いすることに決定、近く正規の手続(ママ)をとることになった。
蹴球の本場英国で英国王が蹴球協会のパトロン(保護後見者)になっておられるのにならつたもので、平和外交の実をあげるため、とくにこの決定をみたものである(後略、引用おしまい)
イギリスのまねをして、皇室の権威利用のカウンター攻撃で、早期復帰の一点突破を狙ったのですね。相撲好きの印象が強い昭和天皇ですが、サッカーはどうかな〜。天皇杯はあるけど、昭和天皇個人がサッカーに熱心だったという話は、寡聞にして聞いたことがありませんが。
ところがこの判断、当時は逆効果でしかありませんでした。イギリスでは、この前年に日本国憲法が交付されるまで天皇制の継続に懐疑的な世論があり、天皇は戦争責任者として怨嗟(えんさ)の対象だったのです。
1971年の天皇訪欧の際でも、オランダなどで抗議の声が大々的に起きたことを思えば、敗戦後2年に満たない段階で、昭和天皇を戴いてヨーロッパのスポーツ団体幹部を説得するのは、ケンカを売るに等しい行為だったでしょう。
幸い皇室側に断わられたみたいです。続報がありません。この日の役員総会では、この年のロンドンオリンピック参加にまで言及していますが(イタいのでそのくだりの引用省略)、ロンドンへの日独の閉め出しは、前年の国際オリンピック委員会の決定事項です。日本蹴球復興への焦りはわかりますが、ピッチの状況がまるで見えていない。
スポーツも外交も、自国の一部の意向だけを受けて国際世論の風を読まなければ、よかれとする判断も毒にしかならない。韓国へ「おたくの一大事には助けに行くから集団的自衛権を行使します」と言っても、韓国国民は喜ばないと思います。
サッカー協会は後年、高円宮憲仁(このブログでは故人に敬称を使いません)を名誉総裁に据えます。その過程を協会最高顧問の長沼健が語っていますけれど、ロイヤルファミリーの政治利用意識が敗戦直後と変わっていないことに、おじさん気恥ずかしくなります。
さしたる戦略なしに、パス回しに念を入れてボールの支配率を稼いでも、得点にはなりませんね。