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2014/10/06

「マッサン」の主題歌は「関白宣言」なのか?(2)

53年前、苦しんで苦しんで朝ドラ第1作「娘と私」が生まれました。作品が転がり落ちて、「天花」とか「ごちそうさん」とか「花子とアン」になり下がった時は、心配だと言いつつ毎朝冷笑しとった。
わかってつかあさい。朝ドラが憎うて、気に入らんで、こんなことを言うてるんじゃない。局の事情も、視聴者の気持ちも、ようわかっとります。
けど、視聴者に祝福されんドラマは幸せになれん。半年先、1年先、制作も視聴者もきっと後悔する。うちは視聴者ですけん、許すわけにはいかんのです。
俳優が、どがあ頑張って名作になろうとしても、フォックスさんが日本語を覚えて、箸を使えるようになって、スタジオパークに出ても、現状にある限り、あんたは名作になれん。
後生ですけん、原点に返って下さい。原点に返って。後生ですけん。

前項からの続きです。展開が変になってきた「マッサン」。エリーが単身帰国を企てる第6話なんて非現実的・非常識的過ぎて1話丸々のムダ。ラストの夫婦くるくる抱っこをやらんがためのエピソードでしたよ。毎週土曜日には、くるくる抱っこがお約束になるのか。タイトルでもやってることだし、女性週刊誌でもたき付けて流行らせたいのかな?
フォックスさんは素晴らしい演技だけれど、日本語能力も凄いの。ネイティブが、スコットランドをスコットンドと発音するまで日本語になじむのは大変なはずです。
制作はそれに応えようよ。ウイスキーバカ一代なんでしょ。アバンタイトルで前週のダイジェスト流すヒマがあったら、そろそろ一生仕事への情熱の動機を提出すべきです。キャラに感情移入できんけぇの。
さて、主人公を矮小化してしまったセリフ、「関白宣言」の余波は決して小さくありません。
たかが散髪の自由すら得られなかった女性やこども。弱者の権利が少しずつ認められていくのは敗戦後です。19461217日の朝日新聞(大阪)「長髪は自由 住吉中で決まる」から引用します。
(前略)府立住吉中で「長髪は個人の自由」と学校側が発表した。これは同校4年生某が長髪のまま登校していたことから問題となり、学校側では早速生徒を通じて禁止した方がよい、自由によるか、どちらでもよいかの意見を府警に求めたところ禁止6割、自由または意見なしが4割だった。そこでこんどは全生徒に同じような回答を求めたところ、父兄側とは反対に自由が6割となり、学校側もこのほど「学校としては自由。一切は家庭にまかせる」ことになった。(引用おしまい)
終戦翌年にして、こどもの髪型にやっとデモクラシーが訪れた際のエピソードです。家庭に任せるとの当たり前の決定が当時は新聞ダネ。戦前がいかに窮屈であったのかわかります。さわやかな朝に、過去のジェンダー問題をお手軽に引っ張り出すなってこと。出すなら調べてから徹底的にやれ。
歴史上の人物を劇中で動かす時には、すべてを現代の物差しで測ってはいけない。つくる人間たちは、その人物が生きた時代の空気に敏感でなければならないと思います。