愚鈍な夫婦が国を誤らせる
ウィリアム・シェイクスピアの「マクベス」をまったく知らない日本の人のために、わかりやすく意訳したあらすじをひとくさり。昔むかしのスコットランドにマクベスという武将がいました。小心なのにずる賢く、無能なくせに権威主義に凝り固まった愚鈍なマクベスは、汚い手口で王座を得るや、自らの悪事を隠ぺいするために次から次へと嘘とごまかしを重ねます。
その女房がまた旦那に輪をかけた善悪の判断能力に欠ける魯鈍な女。善悪の意味が理解できないもんで、「良い悪事ですから前に進めて下さい」等々、世迷言にことかかず、自称私人のくせに、無自覚な愚かさで夫やその部下をそそのかします。
馬鹿夫妻をたきつける3人の魔女というのが出てくるんですが、こいつらはあやふやで実体のない存在です。例えるなら、宗教団体・思想団体・経済団体みたいなものでしょうか。マクベス利権にまみれた権力のお友達であります。
周囲や部下は暴政におののき言われるがまま。ましてや諫言などするはずもなく、そんたくがはびこる政府にあって、調子に乗ってやりたい放題のマクベスは、広大なバーナムの森が我が陣へ動きかかってこない限り権力は安泰だと魔女に吹き込まれ、森が動くはずがない、文字通り森羅万象がオレの物だと、いよいよ妄言を吹きまくるのでしたが……。
トリエンナーレから「宮本から君へ」へ
あいちトリエンナーレへの助成金不交付を決めた文化庁所管の法人が、映画「宮本から君へ」への助成金内定も取り消しました。麻薬取締法違反の有罪判決を受けた出演者がいたことから、「国が薬物使用を容認するようなメッセージを発信しかねない」というのがその理由でした。メチャクチャです。およそ民主主義を標榜する文化文明国家の所業ではありません。トリエンナーレの一件を特例と見せたくない政府、もしくはだれかによる、悪事を糊塗せんがためにするマクベス的悪事の上塗りですね。
この作品、見る価値が十分にある力作でした。作中にいくつもいくつもクライマックスを投げ込む商業主義にまみれたハリウッド的進行を拒否して、カタルシスの解放を観客の我慢ギリギリまで引っ張る勇気と、特殊効果などのギミックを排した正攻法で俳優の芝居をあまねく拾いにいくカメラワークが、作家性と商業性を両立させています。ドラッグ推進映画なんて、とんでもない嘘。助成金カットはマクベスの暴政そのものです。
この作品に出演している俳優の古舘寛治さんは、一連のおかしな行政に異を唱える数少ないメジャー役者として、このところメディアに取り上げられることが少なくありませんね。言葉を扱う表現者として、バーナムの森を動かそうと世間へ訴え続けています。
文化行政における統制は、表現の弾圧・萎縮や言葉狩りに直結します。古舘さん所属の劇団青年団は、長らく日本演劇の主流であった文語調を見直し、自然な対話の流れを重視する口語体による劇の上演を打ち出しています。表現に関わる環境に敏感になるのは当然です(文語調を否定しているのではない)。
いわゆる芸能界では一流扱いされている俳優たちが、家電量販店巡りや食レポバラエティに出演して、「全然いい商品」とか「どんどん食べれますね」などの壊れた日本語を茶の間にまき散らす、魔女の息がかかったテレビジョンの惨状から見ても、表現の自由を墨守せんと声を張り上げる俳優・古舘寛治は極々少数派であり、だからこそニュースバリューがあるといったところでしょうか。反骨の明治女沢村貞子とタイプは違えど、その硬骨が存在感をダブらせていた女優・木内みどりもそうでした。そんなとこかな。ありゃりゃ、やっぱり少数派だわ。
海音寺潮五郎とバカウヨ
今読んでも面白い「茶道太閤記」(文春文庫) |
1938年、すでに直木賞を受賞していた海音寺は、東京日日新聞(現・毎日新聞)に「茶道太閤記」を連載します。武の巨人・豊臣秀吉と雅の達人・千利休が対峙する、当時としては斬新なストーリーに、秀吉の文禄・慶長の役と日本軍の大陸侵略戦争を重ね合わせていた世間は、作家へ非難を集中させます。
海音寺自身が戦後、往時を振り返った1962年3月17日付朝日新聞への寄稿「わが小説」より引用します。
「わが小説」というのは自分の代表作について語れという意味だと思うが、代表作は世間がきめてくれるものであるようだ。しかし、ぼくにはそんな作品がない。つまり、それほど評判になった作品がないのである。「反日作家」の「売国小説」を、腐った文壇がこぞってたたきまくって、せっかくの連載をつぶしました。戦争協力姿勢で部数を伸ばしてきた新聞社も対応に苦慮したことでしょう。
「人間にははからざるのほまれがあり、はからざるのそしりのあるものだ」
という中国古代の賢哲のことばがあるが、ぼくの作品はいつもそのようだ。世間の評判にならなかったとはいっても、少しはなったものもあるが、それらはおおかたがぼくには望外な気がした。また、「十分とまでは行かなくても、出来るだけのことはした。今のおれの力ではこれ以上は書けない」と考えたものの大方が無視に近くあしらわれた。ぼくにはいつも不運感がある。もっとも、そのために、ぼくは相当強靱(きょうじん)な根性に鍛えられた。作家には拍手かっさいの中にいないと、気力が萎縮(いしゅく)して、力の十分にのびないように見える人が少なくないが、ぼくにはそれはない。無視黙殺の中でも、書かねばならんと信ずることは必ず書くことが出来る。
親は不運な子ほど可愛いという。作家の自分の作品における場合もそうだ。ぼくが最初に中央の大新聞に書いた小説は、昭和13年に毎日新聞(当時東京毎日は東京日日といった)に半歳(ママ)にわたって連載した「茶道太閤記」であった。ぼくは利休を芸術界の英雄とし、太閤を俗界の英雄とし、その対立抗争をテーマにしたのだが、世間はこれを受入れてくれなかった(ママ)。事変(引用者注・日中戦争)がはじまって間のないころで、日本中が好戦熱と狂的な愛国熱に沸き立っていたころであったので、国民的英雄である秀吉を一茶坊主にすぎない利休と対立の関係におき、しかも理由に同情的であるとは何ごとだという議論があって、ある大衆作家のグループなど、その機関雑誌で連日にわたって攻撃した。今日となっては、笑うべき俗論であることは明らかだが、当時は侮りがたい力があって、社でもこまったらしい。こうなると、ぼくはへんに闘志を燃やしてしもう。利休に太閤の外征計画を諫言(かんげん)させたりなどしたので、いよいよいけない。今にして思えば若気の至りである。
この作品は、ぼくの数え年38の時のもので、まことに未熟なものではあるが、不運な作品であっただけに、ぼくには可愛い。戦後いろいろな人によって利休が書かれ、それれにすぐれた作品になっているが、それらはすべてぼくのとったテーマから出ていない。ぼくが書くまで、利休は一茶道坊主だったのだ。利休を芸術界の大英雄とし、秀吉と対決させて考えることは、だれも考えつかなかったのだ。つまらないことながら、この意味でも、ぼくには可愛いのである。(引用おしまい)
これは全体主義国家だった大日本帝国の遠い昔のお話ではありません。国家主義的トンデモ本の出版倫理をとがめた小説家を出版社の社長がどう喝した事件はつい最近でしたし、政権批判(政治的発言とは違う)をしたタレントはテレビから干されるといった話も、マコトシヤカにささやかれています。表現者には生きづらい戦前の世が再来しているのですか。
本物は干されない
古舘寛治さんは干されているのでしょうか? 先日、主演ドラマ「コタキ兄弟と四苦八苦」(テレビ東京系)の第1回が放送されました。売れっ子脚本家、人気演出家との古舘コラボ。多分に演劇的で、実験的でもありながら大衆娯楽性もしっかり備えていて、非常に面白く仕上がっていました。最近の茶の間に限って言えばドラマやCMでの妙に膨らませた芝居を見せられるのがしんどかった共演者もとても良い。本来の滝藤賢一は、あんなにガバガバじゃないからね。番宣の短いセリフをカンペ棒読みするのは、プロとしていただけないけどさ。人物に対するカメラが動きすぎて集中力を削がれるきらいが時々ありますが、それは視聴者の好みの範囲。撮影にも作り手の主張があると言うことです。アラサー・アラフォーシングルが流行ればOLもの、女医が人気となれば天才外科医が各局で乱造される安直さに、視聴者がその未来をあきらめかけていたテレビドラマへ、新たに投げかけられた希望の光ではないかとまで言ってしまおう。次回以降が本当に楽しみですよ。
ちゃんとした仕事をする人間は干されません。表現者を自任する者みんなでバーナムの森を動かしませんか。新宿御苑の桜の樹林がざわついている昨今、表現の自由守護へバーナムの森をも動かさんとしている古舘寛治版マクベスに出演するオールスター劇の壮観が見たい。
わが軍は準備万端、
あとは出発するのみだ。マクベスは
熟しきった果実、ひと振りで落ちよう。天よ、
神の鞭たる我らに力を。元気を出せ。
朝が来なければ、いつまでも夜だ。(「新訳 マクベス」(河合祥一郎訳、角川文庫)より)