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2014/10/05

「マッサン」の主題歌は「関白宣言」なのか?(1)

毎朝ドラマ寄席の時間です。マッサンコント「エリーさんの帰国」をお楽しみ下さい。

エリー:私がいると視聴者とピン子さん、仲良くできない。だから私、帰ります。
政春:許さん。日本は亭主関白の国じゃ。嫁は黙って夫の言うこと聞くもんじゃ!
エリー:What do you mean? テーシュカンパクて何?
政春:そ、それは男尊女卑ちゅて、アワ・オウン・トラディションじゃ。日本では男の方がおなごよりも偉いんじゃ。おなごには選挙権も結婚の自由もありゃせん。日本人になんかならんでええ。21世紀になってもガイジンには参政権もない国じゃ。
エリー:Oh,クレイジー野蛮国! 羽田からエジンバラ直行便乗って帰りマス。「蛍の光」は歌わないで下さい。

新婦が旦那に黙ってヨーロッパに帰国(大正時代に格安チケットないぞ。いくらかかるんだ?)とか、主人公がケルト嫁に亭主関白持ち出すとか、設定が次第におかしくなってきた朝ドラ「マッサン」。
ここぞと流し倒す「蛍の光」も、なんだか安キャバレーの閉店時間みたいなチープさ加減です。エリーさんが亡くなった暁には、蛍の光名場面集が尺を埋める、嫌な予感が今からする。
ただ、エリーがバスから降りてからのフォックスさんの長ゼリフが凄いの。よく聞けば言ってる中身は間尺に合わないヨタなんだけど、芝居が上手くて危うく信じそうになった。
無名女優でコレです。メリケンの芸能界は奥が深いですね。公共放送はこの娘の手、離すなよ。
前作のスカタン女学校でも校長が一番達者だったことだし、次作の主演もガイジンさんにしたら? 明治の日本で英国流の女学校を運営するカナダ人校長の物語とか。ただし脚本家は代えること。いっそ作家も米国人にするか!
亭主関白がまかり通る、格差が顕著な社会下で割を食うのは弱者、大抵は女こどもと相場が決まっています。特に戦時下では、イデオロギーや風紀精神等の要らぬお世話が彼ら彼女らを苦しめました。
1942年8月25日の朝日新聞夕刊「青鉛筆」から引用します。仮名遣いや句読点などは、おじさんが現代風に改めています。
男の子が頭髪の前の方を長くした所謂(いわゆる)「坊ちゃん刈り」はどうも米英趣味でいかん、子供は丸坊主で……と府下8500の理髪業者からなる東京府理容組合の支部長会議の席で話が出た。「それはよかろう」、「いや、少し行き過ぎだ」。しばらくあった後、各支部の“自由裁量”となって、大森、麴町、青山の3支部では実施。「丸坊主でなきゃやりません」と、子供の客はみんなクリクリ坊主にされる。
“米英型”こと坊ちゃん刈りは料金50銭、丸坊主型は30銭。それでは業者の米英潮排撃は算盤玉を犠牲にして――とばかりでもない。坊ちゃん刈りだと大体1月に1度位だが、坊主刈りだと2月に3度は刈りに来る。結局、床屋としても損はいかぬとアタマを使っている。(引用おしまい)
モンペをはけだの、パーマはいかんだのと言われた時代。戦争にテンパった大人どもは、こどもの髪型の自由まで規制にかかったわけです。こういう草の根レベルから自主規制の声が挙がるようになったらアウト。相互監視の最低ソサエティです。
竹鶴政孝をモデルとするドラマの主人公が、今後妻に男女差別を強いるとは思えませんが、それなら最初から関白宣言するなって話です。
ベタベタなアンティークギャグを連発するところに、高齢の女性をターゲットにしているのか、とも思える節もありますが、もしそうであるのなら、あの時代を知る視聴者には逆効果。この項、続きます