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2014/07/15

ドイツのサッカー、日本の蹴球(1)

ドイツのサッカーは世界一ィィ!ドイツ代表がワールドカップを制しました。ドイツの皆さん、おめでとう。おじさんはドイツびいきでしたから、ちょっとうれしいです。
とにかく献身的に走る。汚いファウルも少ない。個人の能力が高いのは当然ですが、彼ら全員が見事にチームとして統率されていました。
サッカー代表のスタイルにはお国柄が出ると、よく言われます。個より全体の調和が重視されるドイツ人の方針とはいかほどのものなのでしょうか?
過去の新聞記事から、探ってみます。
まずは1962年に来日した西ドイツサッカー連盟副会長のインタビューから抜粋します。6月3日の朝日新聞「来日した西独サッカー・チーム団長 テオ・ヤンセン(Theo Janssen)氏」。以下に引用します。
(前略)「サッカーは各選手が均等にぶつかり合う。みんなが助け合いながら攻める。個人プレーではなく、あくまで団結して敵に当たる。そして最後に忍耐力が勝つのです。もちろん南米やイタリアあたりのチームでは個人プレーがもてはやされるようだが、わがドイツ・チームは何より団結精神を尊ぶ。すべてが正しい規律と統制のもとに展開されるのです。そして、それが試合の見どころでもある。それだけに、教育的価値も十分……」(引用おしまい)
既に組織サッカーしか頭に無い。短い言葉の中にゲルマン人のサッカー哲学が読み取れます。50年以上前ですから、この姿勢は伝統と呼んでもいい。全員で徹底的に事に当たるのが国民性なのでしょうか。70年ほど昔は、そのせいでユダヤ人はじめ世界中が迷惑したわけですが。
次は1974年ワールドカップ地元開催を控えた1月30日の同紙「サッカー新時代 強い国はどこか」より引用します。
(前略)ベッケンバウアー(Franz Beckenbauer)は試合の読みにすぐれ、最優秀選手は間違いないといわれており、ミュラー(Gerd Müller)は、手オノのようなたくましさで前回に続いて得点王をめざしている。南米スタイルに近いしっかりした個人技に、独自の組織力を組み立て、ひたひたと寄せる形は新時代の標本でもある。(引用おしまい)
 この時期、「皇帝」や「爆撃機」と呼ばれた国際的な才能が、西ドイツにどしどし現れていますが、やはり基本は組織力。ブラジル大会では、競技自体のスピードアップによって、ひたひたというよりガンガン寄せていた感じですが、基本的な考え方は変わっていないと思えます。ドイツサッカーには歴史がありますね。
ここでおじさんが考えてしまうのは、歴史から学ぼうとしない、サッカーの伝統がない国です。監督が日本人、フランス人、ブラジル人、イタリア人と変わる度にそれまでの積み重ねがリセットされて、ゼロからの4年間が始まります。
次の監督がメキシコ、アイスランド、中国、イラン、モルディブ、セーシェル、まあどこの出身でも構いませんが、そろそろ選手が言うところの「自分たちのサッカー」というのをドイツ並みに提出してもらいたいものです。
この項、続きます