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2014/11/14

「マッサン」と、つかこうへいの精神(1)

日本人にはなれん、外国人にはわからん、日本は亭主関白じゃ、車引きが、職無しが……。思いつく限りの差別ファクターが垂れ流される、おそるべき朝ドラ「マッサン」は、もう無茶苦茶でござりまするがな。後は宗教差別ぐらいだけど、イエス様を作中に持ち込む度胸と才覚は、前作同様無さそうですね。
今週のオモチャは後妻さん。後添えの良縁などいくらでもありそうな金持ちが、あえてお手伝いさんと結婚したんだから、結婚の理由は愛情しかなさそうなものを、たかが「お母さん」の呼称ごときで、切るの別れるの。主役が悪役でお腹いっぱいなのに、脇役まで嫌わせようとする作戦の意図が不明です。
奥様役は、つかこうへいの娘さんだそうですね。つか演劇は、学生時代に時々見にいきました。それだけに、そのお嬢さんが、つかこうへいの作劇精神のカケラもないドラマに出ているのを複雑な心境で眺めています。
今日はつかこうへいが1980年代半ば、いじめ問題について語った内容から、「マッサン」に欠けているものについて考えてみます。1986年3月3日付の朝日新聞夕刊「いじめの時代」から引用します。
ぼくは韓国人の血をもって日本に生まれたから、日本人以上に日本人になろうと、“日本人の美学”を一生懸命に学んできました。この前、韓国へ行ったら、韓国のマスコミに“子供の時に、朝鮮人だといじめられたでしょう”と質問ぜめにあった。ぼくは、日本人としてスジを通して生きていこうとしてきたから、ちいさい時にいじめられても、日本人のモラルをなんとか学ぼうとして耐えてこられたと思う(引用おしまい)
つかは自身が在日韓国人二世であることを公言していました。当然、差別には敏感であり、日本人のモラルを大事に生きた人でした。代表作「熱海殺人事件」に木村って部長刑事が出てくるんですが、デフォルメされた差別主義者。被差別の側にいたから、センシティブなのは当然です。差別に鈍感なモラルなき駄作に、愛娘が出演している姿を見たら、制作陣に何と言ったでしょう。
同記事から引き続き、つかの言を引きます。
高度成長以後、日本人は金持ちになって、この民族の品のなさが出てきた。“しとやかさ”とか“はしたなさ”とか、なにを恥と思うかで文化の質は決まってくる。日本では、いまや金もうけばかりで、恥の文化がなくなってしまった。これが親から子供まで出てきている。いじめだって、1、2年のキャンペーンではなくならない。日本は落ちるところまで落ちて、数十年ぐらいの単位で変わらなければダメだな(引用おしまい)
お金の問題は日本人の恥を知る文化を知る上で外せません。貧乏長屋の熊さん八っあんだって、むやみやたらな土下座で急場しのぎはしません。再登場のピン子さんは、次なるいじめから外国人コースを除外する台本なのでしょうか。納得できる理由付けのない人格否定はいじめです。同記事の引用を続けます。
“金をもうけろ、もうけろ”で、親が子供のしつけをないがしろにしてきた。親はペットを飼うように、ひ弱に過保護に子供を育てる。真っ昼間から素っ裸でだきあったり、ピストルをパンパン撃ち合うテレビが放映されている。ソープランドやラブホテルでもうけたやつが、ぼくのところにきて、“劇場をつくってやる”なんていってくる。日本全体がどこかおかしい(引用おしまい)
インタビュー時はバブルですからね。でも、日本人はそれが弾けて貧乏になった分、カネに汚くなったところもありそうです。バブルのころ、平気で土下座して涙を流す人間には注意せよ、と悪徳商法啓発のチラシに書いてありました。視聴率をもうけろ、もうけろとばかりに、悪徳商法セールスマン的光景が、幾度も朝ドラで流れる日本国。確かに日本全体がどこかおかしい。
老婆心ながら、脚本家さんには一度つかこうへいの作品を読んでみることをお勧めします。この項、続きます。