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2014/09/01

米倉斉加年夫妻と戦後多数決社会(1)

俳優の米倉斉加年さんが亡くなりました。名優と呼ぶ人が多いようですが、おじさんにとっては、風貌怪異、かつ自分を追い詰めながら役を作り上げる印象があって、「日本のカール・マルデン」と呼びたい、味のある怪優さんでした。これ褒め言葉。カール・マルデン(Karl Malden)に興味がある人は調べてみよう。
米倉さんと奥さんのテルミさんは、福岡市警固中学校の同級生。42歳当時の二人の人生を追った新聞記事があったので紹介します。1977年1月3日の朝日新聞「中年革命」から引用します。
(前略)2人が新制中学一期生として受けた教育は、最も初期の「戦後民主主義教育」だった。民主主義とは何なのか。大人にも、本当にはわかっていないころである。子どもなりに自分たちでつかみとってゆかねばならなかった。その過程で、斉加年が最初に受けた傷は「多数決の原理」による傷だった。 
「少年の正義感で主張したことが、他の仲間たちにはわずらわしいというような場合がありますね。自分では正しいと信じているからあくまでがんばると、『あいつは横暴だ』といわれ、結局、多数決でやられてしまう。僕は素直な子だったから、あんまりがんばりすぎるのは悪いと思いながら、やはり自分の主張は悪くはなかったんだ、というものは残りましたよ」   
だから、自分たちの世代はルールは知っている世代だと、斉加年は思う。ルールは守る。しかし、もう一つ突きつめると、「そのルールが自分にとって納得できるかどうかの問題が、常にあるんです。ルールが間違っているかもしれない。鬼畜米英の旗が、次の朝には民主主義のシンボルの旗になったのを、僕らは見てしまった」。
斉加年が、俳優という仕事を選んだ内面の動機は、ルールそのものを批判する「魂の自由」を保ち続けたいためだったのかもしれない。(引用おしまい)
多数決が正義にならない世界ってありますね。まさに演劇なんてそうなんでしょう。失礼ながら、美醜の多数決でスターが決められるのであれば、米倉さんと共演を重ねた杉村春子はスターたり得ない。
しかし、妻からすればたまらん旦那でしょうな。価値観を同じゅうしなければ、夫婦二人三脚なんて幻想です。奥さんの半生をのぞいてみましょう。引き続き記事を引用します。
少女だったテルミにとって、戦後民主主義が掲げてみせてくれた「男女平等」の理念は、まぶしいばかりだった。だが、思春期の微妙な娘心は、どういう女の子が男子から「もてる」かを、敏感にかぎわけてしまう。勉強のできること、スポーツが得意であることよりも、かわいい娘、女らしい娘であることが尊ばれる現実。そう察知したとき、少女は「いってみれば、民主主義をあきらめちゃうわけ。結婚すると、全然、男女平等じゃないでしょ。うちは同級生だから、平等な方だと思うけど、それでも画然と差があるわ」。無名の俳優だった斉加年は、世俗への反逆を貫いた。強情にテレビに出ず、舞台一筋で自分を鍛えた。仲間を侮辱した某テレビ局に抗議文をたたききつけに行き、スターでないが故に、不当に安いギャラしか払わない製作者に面と向かって抗議した。「無名のくせに横着なことをいうな」と足げにされながら、屈しなかった。そういう夫の「自由」を、妻は必死に支えてきた。(引用おしまい)
テルミさんの希望とその直後の絶望が伝わってきます。テルミさんは自らの心にある自由への希求を斉加年さんに託したのかもしれません。この項、続きます