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2014/08/05

沖縄のアンネ・フランク

70年前の今日、オランダ・アムステルダムに隠れていたユダヤ人一家が、ナチスの秘密警察に捕まりました(現地時間8月4日)。その中にアンネ・フランク(Anne Frank)という少女がいました。翌年、終戦を待たず強制収容所で死んでしまいましたが、彼女の書き残した著述は、戦争を考える上で欠かせない本として、今でも世界中で読まれています。
アンネは、民族差別や戦争に殺された大勢のこどもたちのうちのたった一人です。
ドイツ同様に日本軍もアジア・太平洋各地で、たくさんの一般市民を殺しました。そこを踏まえておかないと、戦争を顧みる8月の意味はないと思います。
だから、今日は嫌なお話をします。自国民からアンネ・フランクを出した悲しいお話です。
1945年に沖縄の久米島で、住民たちが米軍と通じるのを恐れた日本軍守備隊は、多くの人々を虐殺しました。「久米島事件」と呼ばれています。1985年8月3日朝日新聞「もう一つの戦後」から、目撃者の言葉を引きます。
(前略)さざ波が打ち寄せる海岸を歩く。戦争が終わって5日後の8月20日、朝鮮人の具仲会さん=日本名谷川昇、当時51歳=一家7人が数十人の島民が見守る中で殺された場所だ。自宅前のガジュマルの木の下で涼んでいた仲宗根モシさん(72)が重い口を開く。
――月の明るい夜だったヨ。兵隊たちが砂浜にドサッと人を落としたサ。谷川さんだった。首を縄でくくられて、しめ殺されていたサ。死体に子供たちがすがって泣いてた。その子たちを日本刀で刺したサ。何度も何度も。そのたび、ヒィーヒィー泣いて。足がすくんで身動きできんかった。あいつら鬼サ。アメリカの宣伝ビラ持っていただけで、スパイとして殺す、ゆうてた。(引用おしまい)
久米島のこどもたちは、アンネのような生きた記録を残すことすら許されず、本来守られるべき側の兵士に惨殺されました。我が軍が、ユダヤ人狩りを行ったナチス並みの非人道性を備えた組織だった事実を、当の日本人が認識しないで漠然と政府が悪かった、軍隊が悪かったと他人のせいにするのは、未来に対する個人の責任を放棄しちゃうことだからね。
どんなに恥ずかしい過去でも知っておかないといけないことがあります。それを拒む人を日本では、恥知らずといいます。戦争をする罪はみんなに平等にあると、アンネ・フランク自身が言っています。
わたしは偉い人たちや、政治家や、資本家にだけ戦争の罪があるとは思えません。いいえ、決してそうではありません。一般人たちにも罪があります。さもなければ、世界の人々は、とっくの昔に、立ち上がって革命を起こしたはずです!(「 アンネの日記」より引用)