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2014/10/26

矢口真里とミヤコ蝶々

テレビに良識を求めてはいけません。わかってはいるのだけれど、番組をつくる側の感覚はマヒする一方。最近は常識すら要求しても仕方がないステップへ昇華しています。
朝ドラ「マッチポンプさんマッサン」の主人公ですら、興奮すると食卓で箸を振り回す、直情径行型の非常識野郎になる時代です。毎週土曜日は、主役男性による外国人妻差別発言が恒例になりつつあるのかな。きよし師匠が主人公に話しかける芝居の間がひどすぎるのに、撮り直さないルーティーンワーク。制作者たちに常識がない。
昨日は「有吉くんの正直さんぽ」(フジテレビ系)というロケ番組で、神社に参拝するタレントに局アナが、おさい銭を渡す場面が垂れ流されていてビックリしました。神様に個人の願い事をするのだから、さい銭は自腹に決まってます。作り物だからこそ本物らしく見せる編集をしなきゃ。商品に対して無頓着にすぎます。
視聴者にも責任があります。 欠陥商品に消費者が声を挙げなければ、改善はなされません。テレビに出る人たちのゴシップに踊ってばかりでは本質を見失いますね。
タレントの矢口真里さんの仕事復帰が話題になっていますが、仕事に戻るなら戻るで、過去のスキャンダルの振り返りはさっさと終わらせて、テレビに出る根拠である、その芸能を見せていただきたい。視聴者による、タレントの見立てとはそうしたものです。
今日は、関西の漫才・喜劇で活躍したミヤコ蝶々の芸能人魂のお話をします。蝶々はラジオとテレビで放送された「夫婦善哉」の司会を夫の南都雄二と務めます。しかし、女グセが悪い南都との夫婦生活は破綻し離婚、南都はほかの女性と家庭を作りました。
テレビ局は残酷な企画を立てました。蝶々の誕生日に、彼女を元夫・南都一家と共演させ、こどもたちと歌までうたわせたのです。こんな番組を作る局、受けてみせるタレントは普通いません。ところが、蝶々は引き受けました。彼女の芸人根性がすさまじいエッセイ、1964年7月12日付の読売新聞「日曜サロン『夫婦善哉』で人生勉強」から引用します。

ラジオの「夫婦善哉」が始まって、約9年半、テレビでは、まだそんなになりませんが、この「夫婦善哉」という番組は、仕事というより、私にとりましてはいい人生勉強になりました。始めた当時は、夫婦の見本のようだった雄二さんと私が、別れてからもいまなお、夫婦の時と同じような仲のよさで仕事をしています。

ただ、情けなく思いますのは、私たちが離婚をしたことを、人前で恥ずかしげもなくしゃべり、それを道具にして生きている。蝶々はハラで泣いて顔で笑っているピエロだ。すべてを作っている。こんなことをいわれることです。私はまずいなりにも、芸を持っています。そんなことを売り物にするほど、哀れな芸人でもありませんし、涙をかくして笑えるほどのりっぱな女でもありません。

今日ここまで割り切るのには、ずいぶん苦しみました。泣きもしました。しかし、すべては月日が解決してくれました。いまはもう、何事も“恩讐の彼方”です。にくむことより、二人で苦労した昔を振り返って、もっと大きな愛情で雄二さん一家を見てあげるのが、私の道だと思い、ただそうしているだけなのです。

私のお誕生日に雄二さんご一家と、初めてテレビに出演しました。局の方はこの企画を、たいへん遠慮がちにお話しされましたが、私は喜んでお受けしました。カメラは正直です。私たちが作りごとなら、そこに出るはずです。まして小さい子どもたちに、そんな作り顔ができるでしょうか。私はそれを見ていただきたかったのです。

ただ困ったことは、子どもたちと童謡をうたっているとき、涙が出てきそうになって、必死でこらえました。その涙は何も知らない四つと三つの子どもが私がどんな関係の人間とも知らず、小さな口をいっぱいあけてうたっている顔を見ますと、ああこの子どもたちが私の運命を変えさせてしまった。しかし、むじゃきに、楽しそうにうたっている。私はこれで良かったと思いました。でも、ここで、うかつに涙でも流したら、それこそ子どもを使った哀れなお芝居だと思われます。私はかくすのに一生懸命でした。

いまの私にはすんだ昔のことはもういいのです。人間がりっぱだといわれるより、芸がうまくなったとほめられるようになりたいのです。芸一筋に生きますというほど、りっぱな女優ではありませんが、この世界しか生きることを知らないのですからもっともっといい仕事がしたいのです。そして、もう結婚はこりごりしたとも思いません。いい人があれば、また結婚します。こんどはうまくいくんじゃないでしょうか。三度目の正直ということがありますから…。(喜劇俳優、引用おしまい)
ミヤコ蝶々みたいな人を「芸能人」と呼びます。芸能人と呼んでもいい人。死後は、離婚問題でなく、その芸が記憶されています。 矢口真里さんは「離婚をしたことを、人前で恥ずかしげもなくしゃべり、それを道具にして生きている。ハラで泣いて顔で笑っているピエロだ。すべてを作っている。こんなことをいわれる」段階ですね。芸能を見せてもらいましょう。みんなが離婚問題を忘れます。
 ゴシップタレントレベルから次へ行けなければ、次のだれかのスキャンダルが出たら離婚問題は忘れられますが、存在自体も忘却されます。テレビの現状を甘受している視聴者は、おじさんを含めてそれほど賢くないんでね。