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2018/02/26

オリンピックというレジャーに目クジラ立てるの愚

東京五輪閉会式中継・土門正夫の奇跡

1964年の東京オリンピック閉会式でのNHKアナウンサー土門正夫の実況中継は、今でも名演として語り継がれています。
各国順番に会場に入ってくるはずだった選手団がランダムに肩や腕を組んで、集団で国立競技場になだれ込んできたため、予定原稿はすべてパー。土門はアドリブで語り続けました。
「国境を越え、宗教を超えた美しい姿があります。このような美しい姿を見たことがありません」
一部は動画サイトに上がっているようだから、興味がある人はご視聴下さい。
今の公共放送のアナウンス室は、ドモンマサオなんか知らないかもしれません。平昌五輪開会式の放送、ひどかったからねえ。
男性アナがしゃべる内容を女子アナがオウム返し。さらには詰まる、噛む、間違える。新人アナ研修か?
とんちんかんなアナウンスばっかりだったロンドン五輪閉会式で、英国コメディ界の至宝モンティ・パイソンのエリック・アイドルを「おしゃれな男性」「アーティスト」と実況するなどエンタメへの無知をさらけ出して、Twitterに「#アナウンサー黙れ」のハッシュタグが立つ始末は記憶に新しいけれど、アナ独自の視点も取材もない居酒屋の馬鹿話的グダグダがこんなに頻出してもいいんでしょうか?
驚いたのは、リトアニア選手団の入場時。「日本の外交官杉原千畝が多くのユダヤ人を救ったリトアニア」ってのは何なんだ。リトアニア選手団の紹介、いっさいありませんでした。
一部の国粋主義信奉者たちが少なくとも20数年前から、杉原の生前の意思に関係なく彼を日本人の英雄に祀り上げて日本人スゴイ運動を展開してきましたが、NHK丸乗りです。公共放送から、国営放送飛び越えて今や国粋放送局だね。ドイツの放送局が「南京で数多くの市民を救ったジョン・ラーベがいた国、中国の入場です」なんて実況やったらおかしいでしょ。
ナチスによるベルリン五輪をはじめとして、五輪が国威発揚に利用された例は枚挙にいとまがありません。それは開催国に限らず、今日びメダルの数が国力や民族の優劣の証明だと国民が勘違いすると、世界に恥をさらすことになります。
国内からの非難轟々に心折れた韓国の女子スケート選手が国旗に土下座した(させられた)場面、あったでしょ。怖くて、もう見てらんなかったですよ。アトランタ五輪の時の“千葉すずバッシング”を思い出しました。来る東京でも、日本人選手が韓国スケーターと同じことをやらされる危うさを感じます。

平昌から個人が得るもの

日本人選手のメダル獲得が始まると、案の定メディアの国粋五輪熱はヒートアップしました。男子フィギュアスケート後には、国粋放送アナが「羽生結弦選手・宇野昌磨選手が金と銀のメダルを日本にもたらしてくれました」なんて大はしゃぎ。ニーノ・ロータの名曲集をバックに全力の演技を披露した田中刑事選手は御国になんにもモタラサナカッタんだね。最終日総集編でも田中選手はテレビ各局にシカトされていました。
「日本のメダル獲得数は過去最高」を連呼するのもヒンシュクものです。せめて「日本人選手の獲得数」と言えないかな。独裁・共産主義国は知らず、メダルは個人・団体の所有物であります。
リオデジャネイロ五輪の際にも書きましたけど、このブログは五輪メダルは個人の栄誉であって、国家に与えられるものじゃないってスタンスです。個人や団体が得た結果、得るための経過を見聞きした個人個人が、それぞれの心に何かをモタラサレれば、それも良いよね、って話です。リオ五輪のホルダー数3位は中国でしたが、それじゃあ中国は、人民が言論や移動、集会等々の自由を謳歌するパラダイスかといえば、もちろん違います。メダルコレクターの国がエライわけじゃない。
メダルメダルと血眼にならずとも十分面白かったですよ。男子スノボ・フリースタイルで、平野歩夢選手の後に登場した米国のショーン・ホワイト選手にはド肝を抜かれました。平野選手との順位争いなんか忘れて、「もっと、もっと凄い技を見せてくれ」って感じでテレビに釘付けでした。大けがから復帰して「競技場に来たことは、自分にとって価値がある」と話していました。あくまでアスリート自身のためです。羽生選手のコメントにしたって「自分自身の期待を超えたい」。決して「国民の期待にこたえたい」ではない。
スキー女子ジャンプのイタリア選手が着ていたスーツを彩る本当に美しいブルーのチョイスには、さすがファッションの国だと感嘆しました。女子アルペンスキー・スーパー大回転で、まったくノーマークだったチェコのエステル・レデツカ選手が優勝したニュースには、歴史好きの1人として札幌五輪のアルペン競技に突如現れ金メダルを荒稼ぎした「アルプスの弾丸娘」こと、マリ・テレーズ・ナディヒ選手(スイス)を想起させられました。
今回は女子カーリングの日本チームが大変な人気でしたね。おやつタイムだの、北海道方言「そだねー」だのをメディアが大々的に取り上げてきましたけど、個人的に感心したのは、良いプレイの度に彼女たちが「ありがとう」と声を掛け合っていたところです。互いを尊重し続けて3位まで上がってきたんだね。当たり前過ぎて口はばったいから案外使わない言葉だけれど、人間関係を良くするために、自分ももっと周囲に「ありがとう」と言うようにしようっと。オリンピアンに影響されるのは、こんなささいなことであっても良いんでないかい。

1964年大会から教わったこと

メダル至上主義への危ぐについては、毎日新聞が1月10日付の特集ワイドで取り上げていました(葛西大博記者)。主に国家による五輪の政治利用面を書いていましたが、集団意識、下流社会でのナショナリズム、ポピュリズムの根っこに言及がなかったのは物足りなかったな。読売新聞・朝日新聞などとともに、東京五輪のパートナー(スポンサー)に名を連ねる大新聞社としては、あれが限界だったのでしょうか?
今日は、1964年の東京オリンピックの陸上男子1万メートル競争に出場した選手たちから、アスリートとメダル騒ぎの関係について考えます。
同競技は10月14日、国立競技場で行われました。優勝は米国のビリー・ミルズ。北米大陸先住民出身で、過酷な人種差別に遭いながらの競技生活。それもあって周囲からさして期待されぬまま出場したトラックで大番狂わせを演じました。ミルズにとっての五輪は自己証明の場だったわけです。ジョン・ウェインが先住民を次々と撃ち殺す西部劇映画に夢中だった1960年代前半の日本の新聞では、残念ながらミルズの差別に関する記事は見つかりませんでした。
6位に入ったのは日本の円谷幸吉。後日行われたマラソンでは銅メダルに輝きますが、金メダルへの期待を一身に背負ったメキシコ五輪が開かれる1968年の年頭に自殺しました。
元読売新聞記者で、「五輪」という言葉を考案したことで知られるスポーツ評論家の川本信正は、円谷の自死にあたった読売新聞への寄稿で、日本人のメダル症候群について述べています。1968年1月10日付の「人間不在のスポーツ」から引用します。
円谷選手の自殺は“金メダル主義”の病弊が、きわめて不幸な形で現れたものといえるだろう。東京オリンピックのマラソンで健闘した円谷君の姿は、いまだにマブタに焼き付いているが、すぐに続いてメキシコへの使命を負わされた円谷君にとっては、あの日の銅メダルは、たちまち重い十字架になっていたに違いない。その後、足を痛め、最近立ち直ったというものの、容易に本調子に戻れなかった。世間の期待を意識している円谷君には、これは大きなざ折感であったろう。そのうえ不幸だったのは、長い間、一般社会から隔絶した自衛隊体育学校という特殊な環境のなかで生活していたことだ。ここではすでに「メキシコで日の丸」を合い言葉に猛烈なトレーニングが行なわれている。
それは純然たるステート・アマチュア(国家養成選手)の集団だが、円谷君のように正直一路で自分をごまかせない性格の人が、このような熱気をおびた空気のなかにいると、ひとたび受けたざ折感から、次第に絶望感に落ち込んでいくことも容易に想像できる。
東京オリンピックが日本のスポーツに残した最大の弊害は、やたらに勝利のみを強調し“人間不在”のスポーツを尊重するゆがんだ考え方だった。円谷君は死をもってこれに抗議したともいえる。オリンピックの年のはじめに、まことに不幸なできごとだったが、体協をはじめ、日本のスポーツ界がこの事件のショックで、スポーツ本来のありかたに目を向け変えることができれば、円谷君の霊もなぐさめられるだろう。(引用おしまい)
メダル偏重をゆがんだ考えで、円谷の自殺は抗議だとまで言っていますね。日本軍式の体育学校だけでなく、私たち日本人は、無責任にアスリートに愛国心(メダル)を求めず、しょせんはレジャーの一種であるスポーツの極限に、国家ではなく個人のために挑む選手たちの活躍から何も得なくてもいい、得られればよりいい、くらいに考えてもいいのではないでしょうか。
日本人にはその資質があります。東京五輪の1万メートル出場者で、国立競技場スタンドからもっとも激烈な拍手を浴びたのは、最下位のランナーでした。セイロン(現・スリランカ)のラナトゥンゲ・カルナナンダ選手は3周遅れにもくさらず、無人となったトラックをひた走ってゴールしました。
1964年10月15日付の朝日新聞「勝者も敗者も偉大だった」から引用します。表記は「ガルナナンダ」とされています。
(前略)トップの3人がゴールにはいってホッとわれにかえった観衆、その前を、まだ何人かの選手が走っていた。それも1人、2人とゴールにはいった。最後に1人。小柄なかっ色の選手。ゼッケン67番。セイロンのガルナナンダ選手だった。
最初の2、3周目から大きく引離されて(ママ)いた。スタートした38人のうち、9人も落後しているのに、まだがんばっている。拍手が全スタンドからわきあがった。その中で、彼は胸からお守りを下げて走る、走る。
2周してやっとゴールへ。ワーッと大歓声があがった。違った。彼はわき目もふらずに走りつづけた。まだ1周あった。笑いまじりのスタンドが、驚きのどよめきになり、ものすごい拍手にかわった。7万人の声援をあびてとうとう25周を走りきった。
両手をあげてまるで優勝者でもあるようなゴールインだった。
「すばらしかったぞ。ガルナナンダ」「オリンピック精神そのものだ」
選手村のセイロン宿舎はわきかえった。首都コロンボの市長さんが飛びこんできて、手をにぎる。だれかが、レイを金メダルのように首にかけた。
「1週間ほど前からカゼをひいてしまった。だからきょうは何着などという目標は考えなかった。ただ1万メートルを走りぬこう。それだけだった。わがい通りに完走できて、わたしはしあわせだ」
(中略)彼、28歳。陸軍1等兵。郷里には愛妻と生れて(ママ)3カ月の女の子がいる。セイロンがオリンピックに送った1万メートル初の選手だ。
「これでわたしは1万メートル31分26秒のセイロン記録を持っているんですよ。ビリになったのは初めてだが、こんなに大勢の人に拍手してもらったのもはじめて」「わたしはしあわせだ」--とまたくりかえした。
約3分間というもの、スタンドの拍手を一人占めにして敗れた男--ここにも「オリンピックの英雄」がいた。(引用おしまい)
カルナナンダの走りは、メダルの有る無しや色の話題とは無縁です。でも、日本人は反応したんです。人ってそういうもんじゃないでしょうか。
そんな日本人たちが、世界から来た参加選手と作り上げた東京五輪だったから、土門正夫の口から即興で飛び出した「国境を越え、宗教を超えた美しい姿」は説得力を持ち得たのだと思います。
国単位でのメダルの数勘定など忘れて、出場者の闘いを純粋に喜びませんか。スポーツはレジャーです。その頂点を目指す人たちを見る私たちの目だって、レジャーを楽しむためのものであって良いんじゃないですか?