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2016/08/22

リオ五輪に見た希望の金メダル

リオデジャネイロ・オリンピックもついに閉幕。数々の競技の中でも、女子競泳100メートル自由形決勝にはちょっとじーんときました。
優勝したシモン・マニュエル(Simone Manuel)選手(米国)は、アフリカ系アメリカ人女子初の競泳金メダル。白人様がたが、「高貴な自分たちと同じ水にクロンボが浸かる」のを許さなかったせいで、長らく門戸を閉ざされてきた黒人アスリートの未来を、ハタチの大学生が切り開きました。アメリカのニュースサイトによれば、「このメダルは私だけではなく、有色先人スイマー(Cullen Jonesらの名を挙げる)の物である」と語っていることからも、アメリカスポーツ界に根付く人種差別の存在が伺えます。
この快挙をことさら意識してしまうのは、マニュエル選手の地元テキサスの隣、テキサス同様に人種差別がシビアなルイジアナ州で先月、白人警察官による黒人射殺の報復襲撃でジャクソン(Montrell Jackson)という警察官が殺された一件がずっと心に引っかかっていたからです。ジャクソンは黒人でした。肌の色こそ迫害を受ける側でありながら、制服を着ているからには被差別側を弾圧する“向こう岸”に所属する人間だと同胞には見られる、複雑な立場にあったそうです。彼は殺される直前、市民に対し「心が憎しみに染まらぬようにして下さい」とFacebookに書いていました。
マニュエル選手のゴールドメダルが、米国内で黒人の権利拡大のみでなく、多くの白人が有色人種にも敬意を払うような結果につながる人種・民族融和のきっかけになれば喜ばしい。同着だったカナダの白人選手と優勝を分け合ったのも象徴的でした。個人・チームと周囲の努力と成果を、「国中に感動をありがとう」「ニッポンのチカラ」といったふうに国家の物語に作り替えがちな報道や、それに乗せられた庶民感情が鼻につく、金権まみれのオリンピックにも、開催意義があろうというものです。
日本のスポーツも、悲しい民族差別の歴史を抱えています。今日は、1936年のベルリン五輪マラソンの金メダリスト、朝鮮半島出身ランナー孫基禎のエピソードから、スポーツがあぶり出す人種・民族差別の愚かしさについて考えてみます。
戦前の大日本帝国は、様々な分野での国威発揚を求めていました。オリンピック大会はまさに格好の舞台。“大和民族”の威光を世界に知らしめるチャンスでした。孫は植民地で驚異的な記録をたたき出し、併合地出身者排除の方針をものともせず日本国代表に選ばれます。ベルリンでは、マラソンの勝者に古代ギリシャのヘルメットが贈呈される予定だったのですが、この東アジア人が優勝を飾ると、北ヨーロッパ民族至上主義だったナチス政権下のドイツは、このプレゼントを撤回しました。1981年6月14日付の読売新聞「人間劇場」から引用します。
(前略)このマラソンには、当初、特別賞が用意されていた。1875年、ギリシャのオリンピア付近で発掘された紀元前6世紀のコリント式青銅製カブト。アテネの新聞「プラティニ」の社主が、マラソン勝者への賞品としてベルリン五輪委に渡したものだ。
(中略)しかし、孫さんの優勝で幕を閉じたレースの翌日、1936年8月10日付の「プラティニ」紙は、「優勝者には渡されず、その名を刻んでベルリンの博物館に保存することになった」と事情が変わったことを報道。(中略)カブトは現在、西ベルリンのシャルロッテンブルク古代博物館に展示されており、孫選手の名を刻んだプレートがついている。
ところが、孫さん自身は、そんな賞があったことも、カブトに自分の名が刻まれたことも全く知らなかった。ただ、大会の翌年、日本陸連から何の説明もなくカブトの写真だけが自宅に送られて来た。訳がわからないまま、この写真をアルバムにはさんでおいたのを、ふっと思い出して取り出したのは大会から35年後、今から10年前の1971年だった。
それを知ったソウルの新聞がこの写真の由来を調べて報道し、在独韓国人の協力でカブトの所在もわかった。しかし、韓国のIOC委員らが西独に照会したところ、古いことで責任の所在がはっきりせず、博物館では歴史的遺物として価値の高いこのカブトを手放せない、という返事だった。(引用おしまい)
ベルリン大会は、日独伊防共協定締結より前。開催直前までナチスの幹部が有色人種の参加に反対を表明、日本はじめ各国とモメにモメた経緯があります。ドイツ人たちは、大国ドイツ復興プロパガンダの目玉として用意した欧州の宝が、極東の有色人種の手に渡るのを良しとせず、このような措置を取ったんでしょうね。孫は人種差別のステロタイプの一つとして、五輪史に名を刻むことになったと考えていいでしょう。
五輪花形競技の優勝者孫の苦難は続きます。帰国後は日本人からの差別が待っていました。引き続き同記事から引用します。
大会終了後、選手団は客船に分乗して帰途についた。その間に、ソウルでは「東亜日報」が日の丸を消した孫さんの写真を載せ、停刊命令を受ける事件があった。
(中略)東京で解散後、特高警察につけ回され、「こんなに苦労するなら優勝を取り消したい」とまで言った。
ソウルに戻ると、監視はなお厳重になった。“民族の英雄”を迎えて、独立運動が盛り上がることを、時の朝鮮総督府が警戒したためだ。学校へあいさつに行っても、総督府の役人が同行し、校長が願い出た歓迎会は禁止された。
孫さんはこの後、東京の明大専門部に進んだが、なぜか、「陸上競技をやらないこと」を条件に入学を許された。従って、ベルリン以後は公式試合に出ていない。晴れて後輩の指導ができるようになったのは、終戦、解放以後のことだ。孫さんは戦後、韓国陸連の役員や会長としてたびたび来日したが、過去のうらみは口にしなかった。「昔の日本人はひどかったが、今の日本人に不愉快な思いをさせたくない」と考えたからだ。
孫さんの栄光の金メダルや月桂冠(げっけいかん)は、次の世代に民族の誇りを持たせるねらいで、ソウルの「子ども会館」に展示されている。その中に何とか古代ギリシャのカブトを加えられないものだろうかーーそれが孫さんの「残された一つの夢」だという。(引用おしまい)
ドイツ人、日本人から二重の差別を受けた若者のオリンピックは、栄冠とは裏腹にその人生を暗部に落としこむ結末を迎えました。当事者であった私たち日本人は、国家国民間でいまだ罵声飛び交う東アジア人として、マニュエル選手の金メダルから学べることがあるのではないか。
人種や宗教間の憎悪と分断をあおって大統領選を闘うドナルド・トランプ(Donald Trump)旋風が吹き荒れる米国。白人警官が黒人市民を殺し、黒人が制服の黒人を撃つアメリカ。スポーツの力が、差別と憎悪を和らげることはできぬものか。
かつてユーゴスラビアでは、ミロシェビッチ大統領(Slobodan Milosevic)がトランプと同じ手法で国家を崩壊させました。その一角であるコソボに金メダルをもたらした女子柔道52キロ級のケルメンディ(Majlinda Kelmendi)選手にも拍手を送りたい。2人の女性の金メダルには、五輪にありがちな個人の物語を、国民の未来のハッピーエンドストーリーに転換する希望があります。