西洋人が土足で畳に上がって大騒ぎとな。今どき、バナナの皮で滑って転ぶぐらいのギャグじゃ。あまりのおかしさに落涙したわ。昭和のラブコメじゃ、王道じゃ。笑い死ぬわ。
「マッサン」、始まりました。ラブコメ大いに結構。本物の役者さんが主役だと安心できますね。なぜ至極当然なことで安心せねばならんのだ。前2作の罪深さよ。
俳優の演技で十分に伝わる状況や心理説明をいちいち補完するナレーションと、アップ撮影ではヒロインにまばたきを禁じるがごとき、不自然な公共放送伝統演出はそろそろ見直してほしいなあ。
まあ、それらは些細な問題。今朝になって、向後への不安が2点、頭をよぎりました。いずれも脚本の設定問題です。
1:本格国産ウイスキー醸造者の嚆矢とならんとぞ渡英した主人公のウイスキー醸造への情熱の動機が不明。放送2回目にして、恋人のためならスコットランドに残るなどと言わせる。
2:主人公を酒蔵の跡取りにした。大正時代に大事な後継者を、日本酒と無関係な洋酒造りの技術習得のために欧州(史実では第一次世界大戦真っただ中)に送るか。渡航・留学コスト、危険リスクは現在の宇宙旅行並みだ。出資者への賠償は?
モデルとなった竹鶴政孝の頑固一徹は1934年の創業以来、生涯変わりません。1979年に死亡した時の新聞記事によると、晩年まで出荷する樽はすべて自分が検査せねば気が済みませんでした。
今日は、1964年3月29日の朝日新聞「私の体験」で竹鶴が語った企業経営論から、その人物を考察します。仮名遣いはおじさんが現代風に改めています。
(前略)余市は気候、風土などウイスキー造りに必要な条件が、本場スコットランドに似ている。乾燥した空気、オゾンの多い海岸で、川があり、ウイスキーの香りとなるピート(泥炭)が近くの石狩地方でとれる。しかし創業当時はウイスキー原酒の貯蔵がない。だから名前も大日本果汁で発足、余市地方でできるリンゴを原料にジュースをつくり、それを売りながら原酒の熟成を待った。第1号のウイスキーができたのは太平洋戦争中だった。高度成長期の大量生産・消費社会に背を向ける、頑固一徹の商品主義。こんな人物が、さっさと国産ウイスキーの夢を捨てて女にうつつを抜かすようでは、視聴者はなだれを打って脱落します。早急な修正を願います。
ウイスキー造りは年月がかかる特殊な仕事だ。ことし造ったものはタルに詰めて貯蔵し、10年先でないと売り出せない。だから経営もつねに10年先を考えていかなければならない。毎年、10年先の需要を見込んで醸造計画を立てる。非常にむずかしいが、幸いスコッチウイスキーという手本がある。スコッチの伸びた歴史と、日本人の好みの移り変わりなどを考えて、需要は大体20%の増加と見ている。
またこうした事情から、その年に売る量は自然と決まってくるので、評判がいいといっていくらでも売るわけには行かない。私のところでは、販売量はふえても20%が限度。それだけしか原酒をふやしていないからだ。それ以上売るとなると、年の若い原酒を出すことになり、品質が落ちる。それまではやりたくない。(引用おしまい)
先日の記事にも書きましたが、竹鶴の留学は勤務先の摂津酒造による社命です。動機がはっきりしていれば、脚本家はキャラクターのおかしな行動を抑制できます。「なぜ」があればこそ歴史は成り立ちます。
大事なことだからもう一度言いますね。早急に主人公の優柔不断もろもろを修正して下さい。この項、続きます。