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2014/08/03

「憲法をもっと大切にしろ!」 読売新聞の怒り

自衛隊誕生5年後の1959年になると、政府の日本国憲法の扱いがずいぶんズサンになってきます。憲法記念日の5月3日読売新聞「編集手帳」が当時の様子を正確に伝えています。現状に酷似していると思われますので引用します。仮名遣いの一部はおじさんが修正しています。
きょう3日はいうまでもなく憲法記念日。国民の祝日だからどのカレンダーにも赤い丸がついている。その国の祝日を政府も政治家も一向に祝おうとしない。国民はただ休むだけである。なんとも奇怪な祝日である。
(中略)数年前までは、皇居前広場に会場を設け、天皇にご出席を願って、総理大臣以下が憲法記念式典を行い、おごそかに平和憲法を祝った。そして総理大臣はこの日の談話を新聞、ラジオに発表した。
いつのまにかこの記念式典は中止されてしまった。(中略)現実には憲法そのもの、あるいは憲法の精神が忘れられている。ときにしばしば憲法の存在するということも忘れられているのではないかという錯覚を起こす現象さえある。(引用おしまい)
国民の憲法への関心を薄めようと画策する岸信介政権への批判です。旧帝国臣民は、大勢の戦争犠牲者の屍の上に得た男女同権、言論の自由、戦争放棄その他もろもろの権利を獲得できました。皇国の臣民として、時代遅れの飛行機で敵に体当たりしたり、B29来襲に備えて竹ヤリ振るったり、空襲で焼かれたりすることもなくなりました。権力が何かをごまかそうとする動きを指弾するコラムは至極まっとうです。
昨今、お手盛りの「憲法審査会」なるものが話題になっていますが、当時も同じような組織があったことが「編集手帳」の表記からわかります。引き続き記事を引用します。
(中略)まことにいまの憲法はふんだり、けったり、やれ調査会だ、いや研究会だといじくりまわされている。調査会や研究会の仕事は意義があるが、憲法を邪魔もの扱いにし、憲法に忠実な判決を冷ややかに迎えるというのはいったいどういうことなのであろうか。どうせ押しつけられたものだ、改正しなければならないのだから、ということと、いまの憲法を守らなければならぬ、ということははっきりと区別すべきである。この区別がなくなったら国の秩序はなくなる。どうやらこの秩序があやしくなってきている。(引用おしまい)
 「憲法に忠実な判決」が何を指すのか浅学にして不明ですが、読売新聞の怒りはよく理解できます。「いまの憲法を守らなければならぬ、ということははっきりと区別すべきである。この区別がなくなったら国の秩序はなくなる」。民主主義の基本のキホンです。
安倍晋三首相は法の支配という言葉を好みますが、憲法解釈を閣議決定するのは、法治国家の手段ではなく、北朝鮮のような人治国家のやり口ですね。
おじさんは人間のつくるものに完璧はないと考えてますから、国民のためになるなら改憲もあっていいと思います。でも、法治国家なら物には順序がある。
憲法軽視の岸政権にクサビを打ち込んだ読売新聞が、「憲法を守らなければならぬ」キャンペーンをやってくれないかな。