コピー禁止

2014/09/21

白虹、朝日を貫けり(2)

発行禁止の瀬戸際に立たされた大阪朝日新聞は、人事を一新しました。村山龍平が社長を退き上野理一に交代。反寺内内閣の論陣を張っていた鳥居素川、長谷川如是閑ら編集幹部が退社して、東京朝日新聞社から西村時彦(天囚)や客員幹部が招かれました。
西村は発行禁止を免れるため、1918年12月1日の1面に「本社の違反事件を報じ併せて我社の本領を宣明す」なる長文の、いわゆる釈明文を発表しました。一部を以下に引用します。改行や仮名遣い、句読点は、おじさんが現代風に改めています。
(前略)記事が法に触るると否とに論なく、既に起訴されたる以上は、謹慎して公明なる裁判を待つのほかなし。しかして彼の我が社に対する流言蜚語のごときは、賢明なる読者の批判に委して、含垢隠忍(注・ひたすら耐えること)、あえて自ら弁ぜず。しかれども我が社40年来の目的が国家社会の公益にありて、常に不偏不党公平穏健を主とすること、読者の了悉する(注・すべて理解すること)ところなるにかかわらず、かくのごとき疑惑誤解を惹起せしは、我が社の慚愧に堪えざるところにして、我が社の資本は1、2名私人の有に属するにせよ、我が社の新聞そのものは、国家社会の公益を図るべき公器なるがゆえに、かくのごとき場合に境遇しては、我が社はよろしく誠意をもって反省考究すべきものなりと思惟す(注・考える)。
君子の過ちは日月の食のごとし。発して而して中らざれば、すなわちこれを己に求めざるべからず。我が社不憫といえども、またかつてひそかに君子の道を与かり(あずかり)聞けり。これにおいて我が社は反求せり(注・反省する)。しかして近年の言論すこぶる穏便を欠く者ありしを自覚し、また偏頗(注・不公平に偏ること)の傾向ありしを自知せり。
かくのごとき傾向を生ぜしは、実に我が社の信条に反するものなり。外間における少数者の疑惑誤解もまたあにこれがためなる無からんか。
我が社の君国に対する思想は終始変わらず、必ずしも弁を費やすの要なきを知るといえども、紙面の傾向にして既に本来の信条と相反する者あるを自覚せざる以上は、指導者よろしきを失う過ちを自認せざるべからず。
(中略)これにおいて社長村山龍平は深く自らとがめて、道義上引責辞任し、病後静養中の上野理一に委嘱するに善後の時宜をもってせり。上野理一は病後努めて任に就くと共に、編集幹部諸人の引責退社を許し、一面には近年編集に参加せざりし社員客員を起用して、編集に協力せしめ、ただちに編集全員を招集して、ねんごろに訓戒を加え、もって紙面の改善を図らしめ、11月15日に至りて、大阪朝日・東京朝日両新聞に共通すべき編集綱領を開示せり(引用おしまい)
 言い訳が多くて読みづらい文章ですが、要は「記事が違法かどうかは置いといて、起訴されたからには判決を待つ。中傷の類には反論しない。不偏不党の信条に反する社員がいたが、外部少数の批判はこのせいだ。上層部はその道義的責任を取る。社長をはじめ編集幹部は交代、紙面を『改善』する」という内容です。当事者社員を切り捨てて、発行禁止を回避しようとしたわけです。
大阪区裁は大西に禁固2カ月、山口には禁固1カ月の実刑判決を下しました。両者は控訴せず刑が確定。さらには西村の釈明文の効果もあって、大阪朝日は発行禁止を逃れました。以後、朝日の筆勢は鈍り、満州事変を境として日中戦争、やがては太平洋戦争に国がなだれ込むのを助長する御用新聞に変ぼう、転落します。
白虹事件は、権力の番人であるべきマスメディアの権力への屈服の一例です。慰安婦と原発事故調書の誤報問題で、朝日新聞は編集幹部の更迭を発表しました。社長もいずれ辞任するそうですね。ここまでは大正時代の映し鏡のようです。
朝日新聞の本当の試練はここから始まるのでしょう。権力暴走のブレーキ役として機能せんと在り続けるのか、大正7年と同じ轍を踏んで言論機関としての役割を放棄するのか。
朝日ウォッチング、しばらくは文字通り眼が離せません。