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2014/06/26

沖縄戦司令官・大田実礼賛者の欺まん(1)

60万県民の4人に1人が亡くなったと言われる沖縄戦。大田実海軍少将という守備隊の指揮官がいました。沖縄県民の奮闘をたたえる電文を海軍省に送ったことで、県民の心を知る英雄扱いして悲劇の実態を覆い、ややもすれば戦争賛美に持ち込もうとする向きが一部にあるようですが、冗談じゃない。彼は多くの琉球人を惨死に追いやった張本人の一人に相違ありません。
軍部は沖縄戦を美化するため、すでに自殺している大田の死を隠し、電文を現地司令官の「談話」に改作してマスコミにリークします。
1945年6月15日の朝日新聞に「愛児を後方に託し“仇とれ”と母戦ふ 小禄指揮官血涙の報告」なる記事が載ります。これが大田電文にそっくり。平文で読むと、日本軍が戦場でいかに沖縄の人たちを使役したかがわかります。以下に引用します。太字挿入はおじさんによります。

沖縄戦局は今日重大な局面に立ちつつある。戦線の焦点小禄地区では、敵の熾烈な砲爆撃下に我軍(わがぐん)は、阿修羅の如き奮戦をつづけているのだ。我軍は――正しくは我同胞は、身に戎衣(じゅうい、注・軍服)をまとふと否とを問はず、潮と押してくる敵前に、大和民族の真面目を花と咲き誇らせてゐる。(引用おしまい)

沖縄人も血を流せば、言葉の上では大和民族の仲間入りさせてくれるみたい。大和民族とか大和魂っていったい何だろうね?ここまでは勇ましい美辞麗句が並んでいるのみで中身がありません。続きを引用します。

「沖縄県民はかく戦ひつつあり」
同方面守備部隊の指揮官(注・大田)は14日、海軍省に左のような血涙の報告書を寄せて、軍民一途の奮戦状況を明か(ママ)にした。沖縄戦局はまさに終局的様相を示し来つたが、この軍民一体の血闘記録は終局的段階なるが故に綴られた(つづられた)ものではない。本土決戦目睫(もくしょう、注・目前)に迫る今日、われらは沖縄同胞の意気と力を我身(ママ)に対して進まうではないか。(引用おしまい)

大田の電文送信は6日、13日に自害したとされます。日付を「14日」にしたのは、海軍省の情報操作。強制による「軍民一体」が誇らしげ。「自決」と言えば聞こえはいいけど、要は戦時下にある国民への責任放棄です。司令官が自殺してたら「終局的段階」なんかとっくに過ぎてるよね。「まさに終局的様相を示し」ているけど「終局的段階ではない」というのも意味不明。引用を続けます。

沖縄戦開始されるや本島在住の県民は、戦局の重大性に深く思ひをいたし、皇恩に報ひ奉るはこの秋をおいてなしとし、一木一草遂に焦土と化すも、神州断じて護持せざるべからずとの悲願に徹し、島民一丸となり戦場に挺身せり。即ち青壮年は挙げて戦線に馳せ参じ、残る老幼婦女子は敵の熾烈なる砲爆撃下に家財を烏有(うゆう)に帰せしめらるる(注・すべて失うこと)も敢て(ママ)屈することなく、身一つをもって防空壕に起居し、弾雨を浴び、風雨を冒し、一意後方任務に専念せり。

本音が出た!「神州」は本土であって、沖縄は含まれないんだ。沖縄に何の「皇恩」があったか、知ってる人は教えてね。
いくら皇民化教育を進めたところで、大勢の民間人が妻子やおじい、おばあを戦火の中に置き去りにして、自ら最前線に飛び込むでしょうか。強制のニオイがぷんぷんします。
第一、訓練された軍隊にとって、非戦闘員のてんでんばらばらな参戦は、邪魔でしかないはず。在沖日本軍は軍律も何もあったもんじゃない状況だったのでしょう。
国民を守るための軍隊が国民を危険にさらすのが戦争の現実。「国民の生命と財産を守るため戦争をする」とは政治家の常套句ですが、この手の人たちはたいてい狂人か、せいぜいおばかさんとして歴史に指弾されるものです。
この沖縄県民総軍神化物語には、さらにひどい展開が待っています。この項、続きます