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2019/08/15

8月のジャーナリズム

映画「ひろしま」と高畑勲

1953年制作の映画「ひろしま」が8月17日午前0時からNHK・Eテレで放送されます。これは必見。夜遅い時間だから、こどもたちは親御さんに録画してもらって見ましょう。
広島原爆の実相をドラマ化した作品ですが、その悲劇性がすごい。核爆発以降、ゴジラでおなじみの伊福部昭による重厚な弦楽に乗せて淡々と続く地獄絵図。山田五十鈴、加藤嘉、月丘夢路らの大熱演は立派ですが、映画の緊迫感、臨場感を作り出しているのは、エキストラ出演した実際に被爆した大勢の市民たちによります。後世に伝えるためとはいえ、被爆から数年しか経っていない時期に、体験したあの地獄を再現する撮影に加わるなんて、おそらく普通の感覚では考えられないでしょう。戦争の現実を伝えんとする、素晴らしい勇気と義務感です。映画館のイスの上で思わず身震いしました。
「ひろしま」は見るべき作品であるけれど、これだけで戦争を抑止できるかといえば、絶対的に足りないものが多すぎます。歴史には原因、経過があって、結果が生まれる。「ひろしま」が伝えるのは「結果」に限定されています。
若いみんなが、どこからどう間違って被爆者を出すに至ったのか考える。また、米英やアジアの人たちの感情にも思いを費やすことが、戦争を抑止することになるんじゃないでしょうか。
かつて米国内での原爆被害展示が元米国軍人らの圧力によってつぶされたことがありました。名古屋市の芸術祭企画展「表現の不自由・その後」は、私たちと同じ日本人と思しき卑劣漢の脅迫によって中止に追い込まれました。戦争やその裏側を受け止めたくない、受け止められない社会が形成されています。
アニメ映画監督の高畑勲は「君が戦争を欲しないならば」(岩波ブックレット)の中で、
代表作「火垂るの墓」について以下のように語っています。
戦争末期の負け戦の果てに、自分たちが受けた悲惨な体験を語っても、これから突入していくかもしれない戦争を防止することにはならないだろう、と私は思います。やはり、もっと学ばなければならないのは、そうなる前のこと、どうして戦争を始めてしまったのか、であり、どうしたら始めないで済むのか、そしていったん始まってしまったあと、為政者は、国民は、いったいどう振る舞ったのか、なのではないでしょうか。(引用おしまい)
今日は、高畑の言う「どうして戦争を始めてしまったのか、であり、どうしたら始めないで済むのか、そしていったん始まってしまったあと、為政者は、国民は、いったいどう振る舞ったのか」を、メディアはみんなに伝えてくれるのかについて考えます。

日韓問題と戦前日本

安倍晋三政権が韓国に対してチョー強気に出ていますね。輸出規制策を打ち出して、「文在寅政権を相手にせず」と言っているも同然です。
この件にシンクロするのが、中国への侵略戦争まっただ中の1938年に近衛文麿内閣が出した「蒋介石を対手(交渉相手)とせず」とした、いわゆる「近衛声明」です。
近衛文麿は、お公家さんのボンボン上がり。政治基盤が弱く、大衆の人気取りに走って、日中関係を泥沼化させました。余談ですが近衛は大のゴルフ好きでした。だから余談ですってば。
韓国の文大統領も、安易に報復に走っちゃいけません。輸出の稼ぎ頭である半導体の材料輸出規制に対してリベンジを繰り出せば、戦前に綿花の輸入を止められて、海外向け産業の花形だった綿工業製品が作れなくなったと、鬼畜米英に逆ギレした大日本帝国みたいに見えます。韓国政府が往時の日帝と同じ反応したらカッコ悪いんじゃないの?

戦争企画のやっつけ感

8月といえば、お盆までの期間限定で新聞やテレビが戦後特集を組みますね。被爆、戦地、空襲……。「結果」の報告・検証は多いけれど、戦争になった原因について私たちに正しく教えてくれる企画は今年、いかほどあったでしょうか。いい企画も少なくはなかったけれど、部数が減っている新聞の夕刊、スポンサー対策が成功していないと言われる民放局なんかに「な〜んか、やっつけ感強くね?」というのが目立ちました。名指しはしない。また来年ガンバレ。
敗戦40年に当たる1985年、毎日新聞の歌川令三編集局長は、終戦企画の編集方針を読者に紙面で伝えました。同年8月1日付の毎日新聞「編集局長からの手紙」から引用します。
「8月ジャーナリズム」という言葉があります。この月になるとジャーナリズムは日本人にとっての戦争体験と、平和とは何かついて一斉に論ずる。やがて短き夏の日の終わりとともに消えて行く。それでいいのか――と、われわれの先輩たちが若干の自ちょうの意味をこめて作った言葉のようです。
ひとつ今回は8月ジャーナリズムふうにこの手紙をしたためさせていただこうと思い、40年前のきょう(20年8月1日)の毎日新聞(東京発行)をさがしてみました。1枚の紙きれの小さな新聞の1面トップは「清水市砲撃 敵機2000機来襲」とあります。「配給のタバコを1日5本から2本にせざるを得ない。喫わない人は配給を辞退して、助け合ったらどうか」との東京地方専売局煙草部長の談話が掲載されています。
なお虫めがねでさがすと、「リスボン電同盟」のタイトルで、ポツダムで極秘裏に3頭会談が開かれ、共同コミュニケ作成中と数行の記事がありました。当時、眼光紙背に徹し(引用者注・文章の深意まで深読みすること)、これがトルーマン、スターリン、チャーチルの対日降伏を迫るポツダム宣言作りだと報道管制下の記事を解読したした人は幾人いたでしょうか。焼け野原の東京日比谷野外音楽堂では、中村吉右衛門の野外歌舞伎が行われていました。東京で戦災にあい、日光の山寺に疎開中の吉右衛門、義太夫語りが未着で、自転車の使いを出して「定刻より1時間遅れで開演」とあります。出しものは一の谷組打ち。吉右衛門ふんする熊谷直実(くまがいなおざね)の馬はどう調達したのでしょうか。多分、観客は空腹を忘れたひとときだったのでしょう。わが先輩記者は「歌舞伎の幻想美にひたっていた」とこの記事を結んでいました。
それから半月、8月15日の毎日新聞は、「聖断拝し大東亜戦終結 4国宣言を受諾 万世の太平を開かん」と報じ、「夏の夜の白むころまで輪転機を回わし(ママ)続け」(毎日新聞百年史)ました。新聞の戦争協調責任を強く感じ、廃刊を主張した先輩もありましたが、廃刊は結局、無責任であるとの結論に達し、発行は継続されました。作家井上靖氏は、そのころ、学芸部デスクから戦時体制の社会部に移っていたが、「今日も明日も筆をとる」と高らかに叫んだ――と百年史にあります。
(中略)取材の現場記者としては何をなすべきか。外信部長は、「アジアの国々、人々は、日本人とともに“終戦”を迎えた。その人たちが、あの戦争を今どうとらえているか、アジアの経済大国として立ち直った日本を見る目はどうかについて報道したい」といいます。
(中略)これが8月ジャーナリズムの卒業論文だと肩をいからせるつもりはありませんが、新聞が現代史を形成する不可欠の要素であることを実証できたら――と念じています。(引用おしまい)
ポツダム会談についてのニュースを掲載しながら、何も理解できなかった戦時中の「世界を知らない日本人」から脱却し、侵略の軍靴の足型をしるしたアジア諸国にも目を向ける契機としたい旨を宣言しています。
この年の8月15日、中曽根康弘氏が首相として靖国神社を初めて公式参拝しました。今年同様、アジア諸国との関係がキナ臭くなった年でした。
毎日は日本人に他国の国民の立場を理解するよう、社説でも求めています。同月15日付の「40回目の8・15と国の座標」から引用します。
(前略)50余年前、日本はひたすら先進資本主義諸国に追いつき追い越そうと、全速力で走り続ける未熟な国であった。中国大陸への大がかりな侵略は「人的物的資源」を手に入れるためであり、目標の前には他国・他民族のことはどうでもよかった。あげくに孤立し、目がくらみ、アジア全域で無謀な戦争を展開し、破滅した。
その過程について、さまざまな議論がある。先進諸国の包囲網の中で日本が生きる道はほかになかった、という意見も聞こえる。だが、この戦争が他国の武力侵略に対抗するための防衛戦争でなかったことだけは間違いない。このことの反省の上に、戦後の平和国家としての繁栄の道があった。「他者」が目に入らぬ身勝手な国から「他者」を意識した国際社会の一員へと変身したのが、40年前の「8・15」の意義だった、と考える。
(中略)では、きょう私たちが霊安かれと祈る戦没者の「死」の意味は何か。戦いが防衛戦争でない以上、将兵の死は国を守るためのものでなかった、という発想は、死者の霊を身近にしのぶ文化を持つ日本人には耐えがたい。「『ドイツ国防軍の兵士は善意で間違ったことに尽くしてしまった』というドイツでは一般的になっている考え方は、多くの日本人にはなじみがない」(ゲルハルト・ダンプマン「孤立する大国ニッポン」)のである。
だが、ここには「日本の正義」にこだわる視点がある。私たちは、敗戦後、世界にはさまざまな正義があることを知った。靖国の霊だけでなく、他国、とくに日本に侵略されたアジアの国々の死者、日本人として戦場で死んだ朝鮮、台湾の人々の「死」をも視野に入れることによって、戦争による死者の霊ははじめて安らぐだろう。
とすれば、若者たちを再びそのような運命に追いやらぬ日本をつくり、平和憲法によって約束している平和主義と不戦の誓いを世界に広げることが、私たちの使命にほかなるまい。
(中略)いま私たちは、戦争を知らず、死者の思い出も持たぬ戦後世代に、あの戦争の意味を語りつがねばならない。被害者としての悲惨な体験だけでなく、日本が加害者の立場にあったことを正確に伝え、この世界には、平和にまさるいかなる価値もあり得ないことを知らせねばならない。
その根幹に「他者の痛み」への共感を据えたい。それこそが、苦い過去の歴史の断章を、現在と未来に生かす道である。(引用おしまい)
言っている内容に間違いはありません。問題は現在、定型化された感の強い8月ジャーナリズムが、戦争を知らない世代に74年前に終わった戦争の意義と平和の価値を伝え得ているのか、なんですよ。
愛知県庁に、サリンまくだの、ガソリンこぼすだのと、おびただしいテロ予告がなされ、権力を持たされている公人がアートを攻撃したり、テレビ局で気に食わないタレントを待ち伏せする総会屋まがいの脅しをかけたりしている、表現の自由・民主主義の毀損はなはだしい戦後74年の敗戦記念日。負けた教訓が何も残ってやしないじゃないか。
大手メディアにおかれては、若いみんなが人権や平和について、ちゃんと考えられる世の中になるよう、創意工夫により努めていただきたいものです。