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2019/02/24

沖縄知事の戦死、天皇皇后の視線

辺野古の基地、青山の児相

1972年5月15日、日本返還当日の記念式典で、初の公選沖縄県知事となった屋良朝苗は、県民と国民へ語りかけました。
「沖縄がその歴史上、常に手段として利用されてきたことを排除して県民福祉の確立を至上の目的とし、平和で、いまより豊かで安定した、希望のもてる新しい県づくりに全力をあげる決意であります」
それから50年近い年月が過ぎ去って今、沖縄が常に手段として利用されてきたことが排除されて、県民福祉の確立へ前進しているのか、というと、まあそう変わっちゃいない。というより、本土の我々が変えようとせずに、見たくない、近くに置きたくない施設や汚れ仕事を沖縄に押し付けっぱなしにしてきたんですよね。
その意識なしに、児童相談所の新設に反対する青山在住の成金連中を、地域エゴだ、差別的だと訳知り顔で難詰する資格が私たちに果たしてあるのか、とも思うのですよ。16日に「報道特集」(TBS系)が放送した、都市部で出た建設残土をへき地に投棄して、大多数が知らん顔してるからいいじゃないかと済ませる問題も同根。本土に安穏と暮らす私たちは、今日行われている辺野古での基地建設の是非を問う県民投票の経緯ともうすぐ出される結果から、私たちの勝手な都合によって弱者にさせられた沖縄の人たちを知るように努めようじゃないですか、というのが今日のお話です。

いまだ軍政下

昨年、翁長雄志県知事が死にました。病をおしての県民の社会権・幸福追及権獲得闘争のさなかに倒れた、まさに戦死でした。かの地の米軍基地問題は太平洋戦争に起因しますから、県民49万人のうち12万人が亡くなった沖縄の新たな戦死者だと言っていいと思います。4人に1人が戦乱に散った島々では、身内が軍隊に命を絶たれる事件が70年余も続いています。
嘘じゃないよ。嘉手納の永山由美子、読谷の棚原隆子、那覇の国場秀夫、糸満の金城トヨ、石川の宮森小学校児童11人……。まずはググって調べてみよう。それらに近年の殺人や暴行の数々、辺野古基地建設をつなげて考えれば、沖縄県民の戦後って何なんだろう、と思いますよ。いつまでたっても「豊かで安定した、希望のもてない場所」に住まわせられる人生を自身に投影する作業。やってみる価値は十分あります。
文頭に挙げた初代知事・屋良朝苗も戦争で長女を失っています。ひめゆり学徒隊の一員でした。1975年、彼女たちを慰霊する「ひめゆりの塔」を訪れた明仁皇太子・美智子妃が、過激派に火炎ビンを投げつけられた事件がありました。平成の時代が終わるとあって、最近ではこの事件がテレビでもよく取り上げられていますけれど、この時にご夫妻が名護市のハンセン病療養所愛楽園を訪れ、入所者たちと歓談されたことは、今ではあまり一般に知られていません。
本土から差別されてきた沖縄の中にあって、さらなる差別を受けたのがハンセン病患者でした。このところ、過去の強制不妊手術の非人道性があぶり出される報道を見聞きしますが、元ハンセン病患者の多くもいわれなき差別を受けて施術されているようですね。愛楽園の入所者は、偏見から差別的隔離をほどこされた人たちで、戦時中には米軍の攻撃目標を散らす目的で屋根に病院を表す赤十字マークを飾ることも許されず、同園は空襲を受けています。
アメリカの軍政下になっても、医療行政の停滞は続きました。日本復帰が目前に迫った段階で、厚生省は沖縄の医療の実態調査のため、葛西嘉資元事務次官を派遣しました。
1971年3月12日付の朝日新聞夕刊「今日の問題 沖縄のハンセン氏病」から引用します。文中のハンセン病についての説明は、掲載当時の一般的見識で、現在とは違っている点もある旨、付け加えておきます。
(前略)このほど、厚生省の依頼で沖縄の実情を調査してきた葛西元厚生次官は、こう語った。
「宮古群島の多良間村は、約2700人というわずかな人口なのに、毎年、零歳から10歳まで、10歳から20歳までの年齢層で、それぞれ4、5人ずつのハンセン氏病が出ています。患者は、1万人あたり97人という驚くべき高い割合なのです」という。本土の0.9人よりずっと多い。
沖縄のハンセン氏病対策は、本土に比べて約30年も遅れているようだ。72年の復帰を前に、ハンセン病のような問題については、何らの対策も立てられていない。
かつては「不治の病」とされたハンセン氏病も、いまではなおせる病気となった。社会復帰している人達も少なくない。本土では11の国立療養所と3つの私立療養所に、9千人近い患者が入所しているが、その72%は菌をもっていない。このほか、感染の恐れがない在宅の患者が約6百人いる。
ところが、沖縄の患者は2千人弱。琉球政府の2つの療養所にはいっているのは、このうち9百人余で、のこりは外に出ている。本土とちがって、在宅のまま治療して患者が多いのだが、なかには感染するかもしれないのに、ほったらかしになっているものもいるらしい。
ハンセン氏病のメカニズムは、必ずしも解明されておらず、原因をはっきりつかむことはむずかしい。
(中略)ともかく、政府は沖縄の本土復帰前にまず実態をよくつかみ、いまから必要な対策をとるべきだ。検診を強化し、潜在患者の解消をはかることである。沖縄にはライオンズ・クラブの寄付で「スキン・クリニック」もできているが、専門の医師がほとんどいないという。医師、看護婦を送ることも、急務である。(引用おしまい)

「本土」と「他府県」

基地運営がすべてに優先される軍政下では、民間人の医療などどうでもいい事柄でした。雨が降らずに深刻な断水が市民生活を直撃しても、軍用機を洗う水はふんだんに供給されていたのが沖縄です。
皇太子夫妻訪問が報道されることで、ハンセン病患者療養施設について国民は知ることになります。差別を受ける人たちへの心配りでした。火炎ビンを投げつけられ生命の危険にさらされてなお、ここまで計11回の沖縄訪問を繰り返された天皇皇后両陛下は、私たち本土の人間たちに沖縄忘れまじ、と訴え続けているように見えます。
復帰のころ、希望にあふれていた沖縄人の本土への呼称が「他府県」に変わった時期がありました。今では再び、よそよそしい「本土」に戻っています。考えてみれば、同じ日本人なのに奇妙な呼び方ですよね。
県民投票は、本土の私たちにとって一過性のイベントじゃありません。沖縄の近現代史と現状について興味を持って知ること、考えること。これからの日本と世界をになう若いみんなには、天皇皇后両陛下の視線を持ってほしいと願います。