前項からの続きです。亡くなった高倉健さんと戦争について考えています。
14歳で敗戦を迎えた健さんは、庶民の視線、虫の眼で戦争について語っています。
引き続き、2012年1月30日付の朝日新聞のインタビュー記事「生きていくとは、何と切ないのか」から引用します。「74年でしたか、『ザ・ヤクザ』という米国映画に出た時のことです。僕が演じた男は出征して、岸恵子さん演じる妻に戦死の報が入る。妻と娘は戦後、ロバート・ミッチャムさん演じる米国人の世話になる。ところがそこに僕が復員してくる。脚本では、岸さんとミッチャムさんの間にも子供がいる設定でした。これが僕には受け入れられなかった。当時は生意気でしたから。じゃあ役を降りる、と」
――何が嫌でした?
「女房が他の男に世話になって子供までいる。そんな情けない役を演じたら、映画俳優として商売が出来なくなると思いました。結局、僕が主張を通しましたが、今の年齢になって考えると、子供がいる設定の方が陰影があって、人生の悲しみが出たでしょうね。戦争はこんな悲しいことを引き起こすんだと」(引用おしまい)
「ザ・ヤクザ」は、脚本がよく練られた佳作だと思いますが、ヤクザなる邦題が悪かったせいか、あまり語られないのが残念。高倉・ミッチャム・岸恵子さん、快演です。さて、ここでも健さんは戦争の悲劇をドラマに重ねて話しています。
映画スターという言葉が死語になりつつある今日この頃、まぎれもない映画スターであった高倉健がいなくなってしまいました。
名優と映画スターは違います。何か大事ある時、自然、人を励ますことすらできるのが映画スター。その意味で名優よりもハードルが高い。
東日本大震災で被災した宮城県の高校教師の投書を紹介します。2012年1月7日付の朝日新聞「声」から引用します。
(前略)私は、健さんの「単騎、千里を走る。」の撮影現場をドキュメントしたNHKの番組が忘れられない。 中国ロケの最後、村のひとたちと涙の別れとなる。その中で健さんはこんなふうに言う。「中国の自然は美しかった。広大な大地。沈む夕日。でも、ひとがひとを思う、それ以上に美しいものがあるだろうか」 私は、昨年の東日本大震災の津波で家を流失した。途方に暮れているとき、親戚が住む家を探し、食事の世話をしてくれた。心配をした友人が、ガソリン不足の中、関東からわざわざ会いにきてくれた。知人が何度も電話をくれた。生徒が、提出リポートの欄外に、「先生、だいじょうぶですか」と書いてくれた。そのどれにも私は泣いた。健さんの言葉をそのたびに思い出した。思いをかけてもらえたことを支えに、私は生きている。(引用おしまい)
苦境にある人が健さんの言葉を胸に生きている。人が人を殺す時代を見て育ち、人が人を思う美しさを感じるに至った人の一言を支えに生きている人がいる。
生きていくとは、切ないけれど決して悪くはない。